色好みの構造(中村真一郎著 岩波新書1985年)②
貴族と女房との歌の応酬は、その後の日本の文化に決定的な影響を与えたと考えられる。現代に生きるヒトが虫の音や雪や月を聞いて見てどう感じるかは、言葉には表せないけれど無意識のうちにこの膨大な数の恋歌の影響によるところが大きいように思う。(どうも外国のヒトは月を見て雪を見て虫の音を聞いて感じるところが私たちとはかなり違うようである。)ごくごく小さいうちから日本文化の中で育つと日本人になる、その日本文化を作ったのは貴族と女房との歌の応酬であったと、わたしは考えるのではなくてそう感じる。(この本にはそこまでは書いていない)
最近日本人が少なくなったからカネを払うから頼むから人口を増やせと総理大臣までもが言う。たとえ生まれても育てる特に母親や社会全体の中に日本人の感性を持つものが居なければ日本人は育たない。いや日本国籍を持つものが居ればそれでいいというは、数合わせ昔の日本陸軍のよくやった員数あわせであって、そうなってはもう折角の日本が日本でなくなる。日本文化を体の中に持たないと日本人でなくなる。その日本人の感性は男性貴族と女房達との歌の応酬さらにそのもとは「色好み」であったとこの本に書いてはいないけど、そうであっただろうとわたしは想像する。
しかし、色好みは日本人の感性を育てる歌を遺しただけで完全に滅んでしまった。とまではこの本には書いてないけど多分なくなって、社会の変化に従って光源氏のようななまたは和泉式部のようなふるまいをする人は完全に居なくなった。
普通一つの体制が滅んで次の支配者が入るときはその生活様式は次の体制の者が受け継ぐ。明治維新の際の新政府の役人は、江戸の旗本の生活の真似をしたという。フランス革命時のブルジョア階級の人々は王室の生活の真似をしたくてなったんだから、王室ご用達の服屋で服を誂え、王室と同じような食事をしたという。平安時代の次の支配者はどうもそうではなかったようで、色好みの道を棄ててしまった。あれはいけない趣味だとでもいうように歌を詠んでいた源実朝は暗殺されてしまった。
普通、文化は支配階級が作って被支配階級の方に流れるものだが「色好み」だけはこの時に息の根が止まってしまい被支配階級に(現在にまで残る自然への感性を除いて)何も残さなかったとみられる。その後入ってきたキリスト教文化によって「色好み」の文化が完膚なきまでに壊されてしまったのははなはだ残念である。
なお、庶民の健全な恋愛劇であるお初徳兵衛やロメオとジュリエットがもてはやされたのは「色好み」の文化を失って右往左往していた支配階級に被支配階級の文化が流れ込んだ稀有な例であると思う。野球やサッカーやゴルフや茶道も結構な文化であるが、「色好み」の文化も是非復活してもらいたい文化である。(そうなる見込みはないけど)