映画「ひまわり」と「シェルブールの雨傘」②
「シェルブールの雨傘」の主題歌のことである。主なところを直訳すると「たとえ何千年でもあなたを待ちます。あなたがどこをさまよってもいても、私の隣であなたがため息をつくのを聴くまであなたを待ちます。」とある。
なにしろカトリーヌ・ド・ヌーブさんを見た直後にこの歌であるから、聞いた男は皆痺れたはずである。(ただしわたしは、何千年も待ってもらわないで今すぐかせいぜい数年後にお願いしたいものだ、なんぼド・ヌーブさんでも何千年も経つとおばーさんにならはるからちょっと嫌やなとその時思った。それからソフィア・ローレンさんは映画で見る分にはいいけど、現実隣でため息を聴いていただくのはこちらが緊張するので嬉しくない。)
この歌を聞いてから何十年も経ってやっとこれは死後の救済を説く思想ではないかと思い当たった。(ただしすべてのヒトがそう感じるかどうかは分からない。)人生散々苦労しても最後はド・ヌーブさんみたいなきれいな人に抱かれて苦しかったことの愚痴を聴いていただけるのである。これは現実の世の中で苦労しがいがあるというものである。これがこの歌を聴いて四十年後に思い当たったことである。
しかし、五十年経つと考えが少し変化した。この歌では苦労したものだけがド・ヌーブさんみたいなきれいな人に抱かれて苦しかったことの愚痴を聴いていただけるとは言っていない、どうやらどんな人も皆このようになりそうである。どっちみちいい思いができるんならば「苦労は買ってでもしろ」とかいう世間で流布しているあほ話に乗らないで、今も楽しむことが人生を楽しく生きるコツではないか。
「ひまわり」の方にも何かの思想が盛り込まれていたのかもしれないがそれは分からない。しかし「シェルブールの雨傘」には最後の歌の中に重い思想が埋め込まれていたと感じている。さらにその自分なりの解釈が何年も何十年も経つとどんどん変化していくのである。「シェルブールの雨傘」はよくできた娯楽映画にとどまるものではないとわたしは思っている。映画の解釈は年代によって異なる。