法然展(京都国立博物館)
浄土宗の開祖という以外の知識がなかったが、ずいぶん勉強になった。ただし正しいかどうかは自信がない。法然さんは頭の平たい人であるから、お坊さんの中で上昇志向のない庶民の味方のひとであろう。その人が念仏を唱えるだけで極楽へ行けると説いたらしい。これに人々が乗ったという現象が鎌倉初期または平安末期に起こった。民衆が宗教を必要とし始めたというけれど、わたしは民衆が相互に信じあって連帯するためのノリの役割として宗教が必要になった時代だと思う。
清盛が調子に乗って宋から宋銭を輸入したために人々が「銭の病」にかかってたぶんバブルが起きたと考えられる。それがはじけて巨大な貨幣過剰時代になると、大インフレになって人々相互に信用ならない時代が始まった。物の価値の基準がなくなったので取引できない。その時に同じ信仰を持っている人どうしならなんとか取引ができる。それでこの宗教が広まったのではないか。宗教は、ついついあの世のことばっかりに興味をもつがじつはこの世の連帯と取引に必要なものではないのか。われわれは取引をしないと一日として生きていけないものである。
次に感心したのは、阿弥陀如来が手下を連れて来迎してくださるありがたい絵(この絵は美術としては相当よくできたものである)ではなく、その行った先の極楽の絵である。わたしは地獄の絵は小さい時から見せられて嫌というほどお説教されたので詳しいが、極楽の話は聞いたが絵は見た記憶がない。極楽へ行けばお釈迦さんのそばに座ると聞いていた。小学校なら校長先生のそばに座るということで、緊張するから極楽は嫌だと思っていた。しかし、この絵をみるとお釈迦さんらしき人の近くには位の高そうな人が数人座りその傍では楽師が音楽を奏でている。さらに舞台らしきものがあってここでは舞が披露されるようである。ここまできて御飯がないとは思えない、きっと山海の珍味が提供されると予想される。(行ったことないけど京都島原でまたは江戸の吉原で催される宴会はこんなものであるに違いない。)ならば極楽へはぜひ行くべきである。毎日宴会も疲れるがないのはさみしい。音楽と踊り付きの御飯ですぞ、行かないというようなことは間違っても言いたくない。お釈迦さんも音楽と踊りをお楽しみになるかと思うと急に親近感が湧いてくる。お釈迦さんと仲良くしたくなる。
今回の収穫は、この極楽の絵を見たことである。大変よさそうなところである。
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