本の感想

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映画 ヒットマン

2024-09-18 21:26:25 | 日記

映画 ヒットマン

(古くからある西部劇を含んで)アメリカ映画を見て感じる違和感がどこにあるのかがやっとわかった。登場人物は自分の気持ちを語らないのである。またはその感情を描かないのである。テンポの良いストーリー展開と会話が観客には小気味いいけど、登場人物の誰にも感情移入できないままラストを迎えることになる。例えばテニスのラリーを見ていても、どちらかを応援するから感情移入しそうなものである。応援する選手のいないテニスのラリーを見ているようなものである。いい悪いではなく、それがアメリカの流儀なんだろう。 

ちょうどスマホの設計みたいなもので、頭のいい人が設計してある。しかしその人の個性は一切ない。名前のない作品である。あれだけの設計でありながら尾形光琳も葛飾北斎の署名もない。アメリカ社会に住むことは、快適なのかそうでないのかは意見が分かれそうである。ただ他の文化に染まった者がアメリカに移住すると難しそうである。真っ白な状態で移住しないと駄目である。

われわれは、都会に住んでいても何百年前の田舎の人間関係を引きずっているのであろう。だからどうしても仲間内で自分語りをしたくなるし、しないとやっていけないと考えられる。しかし近世の農業社会を経験しないでいきなり都市にぞろぞろ流れ込んで、さあみんなで都市生活しましょうと言っても、どうしていいやら分からないのであろう。だから法律とカネしか言うことがなくなる。(この映画でも盛んに出てきた)法律とカネが糊の役割を果たす。われわれは、社会の安定のために居酒屋を必要としているがアメリカはどうであろう多分ないのではないか。その代わり法廷がある。それにわれわれはおとり捜査というとかなり特殊で滅多にないものと思っているが、アメリカでは、(この映画に従えば)日常茶飯事のようである。(私の感覚では)おとり捜査は気分が悪かった。

この映画を見て、我々はアメリカ型の社会制度をもうこれ以上受け入れるべきではないと強く感じた。今まであれは自由でよいものだと思い込んでいた。自由が良いものだと思いこんでいた。適当に束縛されているほうが自分の感情を持てるのでいいのかもしれない。自由だと身を守るのに精いっぱいになってしまって自分の感覚とか感じとかを味わう時間が無くなってしまうという警告をしているのかと思う。

たぶん何人ものシナリオライターが精いっぱいの知恵を絞って会話のラリーを書いたのだろう。頭の体操になるストーリー展開であるし見せ場もある。しかも、アメリカに行ってはいけない、住むなんてとんでもないという教訓を得られる映画である。

むかし夏目漱石が小説の研究をアメリカではなくイギリスに行ったのは正解である。かの国には人物の心を描くという伝統が育たない国である。(いけないことだと言ってませんから念のため)