大覚寺展(東京国立博物館)
京都の大覚寺へ行けば見ることができるものをわざわざ博物館まで出向くのはどうも効率が悪そうだけど説明を読めるのと、仏像を近くで見ることができる利点があるので遠路はるばる東京まで出向いた。
仏像はどれもこれも頭でっかちでこの仏師はへたくそなのではないかと一瞬疑ったが、たぶん高い台座に載せるのだろう。ずいぶん下から見上げるようになっていると頭でっかちに作らないと威圧感がないのであろう。その意味では、鑑賞者と同じ高さにくると細かなところが見れるけどありがたみが薄れる。仏像はお願い事をするときは高いところに載せないといけない。選挙演説はたとえビールの箱に載るのでもいいから高いところからやらないといけないのとおなじであろう。
南朝が、嵯峨天皇と弘法大師が作った寺院に依拠しているのに初めて実感した。南朝がなぜ南の方へ行ったのか。高野山に保護を求めたからと考えられる。事実は知らないが女官を入れなければ保護してあげましょうくらいの返事があったのではないか。皇后と別れるのは嫌だから高野山に上らずにいたのだからもしそうならこれは美談ではないか。
現に大覚寺の女官のいる建物の障壁画は見事である。このようなアートに囲まれて生活することが権威をつけることになったのであろう。アートと権威権力の関係はもっと論考されていいのではないか。およそ宗教、権威権力とアートはどこの国でもいつの時代でも深い関係があるように見受けられる。行ったことがないので知らないが、内閣府にも国会にも裁判所にもすごいアートがあるであろうか。
弘法大師と嵯峨天皇である。様々な文書が公開されている。ここには黒山の人だかりで、書道が今も人々を引き付けている。私なぞが見ると、よく間違わずに書けるなと感心するばかりである。字がうまいのは勿論、その精神力がその書を最後まで書ききるまで持続することに感心する。
これだけの精神力なら、弘法大師は勿論嵯峨天皇もその後継者も今なら大きな会社を経営するとか国家を指導するとかいろんなことができた人であろう。