本の感想

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断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む⑧ 奇人変人ではない俗人である

2022-10-17 14:13:11 | 日記

断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む⑧ 奇人変人ではない俗人である

 いじめに遭って、もう自分にはこれ以上構わないでくれというサインとして奇人変人の振りをしたのだと思います。いじめた方もこんなけったいな奴いじめがいが無いとしてそれ以上は手出しをしなくなった。いじめるのは自分たちとちょっと違うところがあるからです。もう全面的に違っていてしかも絶対変化しませんよと宣言しているような相手にはいじめても仕方ないと思ってしまうものです。いじめた側は、のちに陸軍大将になった人であったと荷風研究書で読んだことがあります。

しかし荷風さんそれがなかなか快適な生き方であることに気づいて押しも押されもしない文筆家になった後もそのふりを押し通したのだと思います。人付き合いをしないといっても、花柳界でのお付き合いは極めて積極的です。気の合う友人とも積極的です。日記によく出てくる井上啞々という友人はどんな作品を遺した人かわかりませんが、写真で見る限りは頭のいいビジネスマンという感じの人です。自分の美意識と合わないヒトとは付き合わないというだけでしょう。

俗人である証拠は、小説の売れ行きに一喜一憂していることから明らかですがさらにこんな話があります。

日中戦争のさなか、大陸に渡る兵士に娯楽のために荷風の小説本を携帯希望する者が多いとして、荷風に増刷を要請したのです。もし普通の変人であれば、大嫌いな陸軍の要請ですからお断りするかと思いきや散々日記には嫌味を書きながらも「やむなし」と言って増刷に応じているのです。さぞやうれしそうな顔をして検印(当時は著者の検印が無いと発行できないものでした。)

わたしはここでベトナム戦争時のアメリカの月刊プレイボーイを思い起こしました。あの雑誌は、アメリカ軍の兵士がベトナム戦争に携行する目的で刊行されたようなものではありませんか。ベトナム戦争が終わってもしばらくは命脈を保っていましたが、売れ行きが落ちてついに廃刊になったと聞きます。アメリカ軍の戦争のやり方が根本的に変わったことの現れではないかと思います。もう兵士を海外に送り込むことはしなくなった。

 では、荷風さんの小説は月刊プレイボーイと同じ位置づけなのかという疑問が残ります。わたしは違うだろうと考えます。月刊プレイボーイはベトナムに出征する兵士を主な読者として想定した。荷風さんの小説は出征する兵士を想定したものではなかった。荷風さんの生き方をしてみたいと思っているが、とてもできない人は農山漁村の素封家の中にいっぱいいたと考えられる。東京の町中にはもっとたくさんいただろう。(ただ京都やその他の地方都市には異なる伝統の花街があったのでここでは少なかったかもしれない。)当時は階層社会であって、その中のある一定以上の階層の人々には恋愛というものは無かった。しかし、お坊さんが雁を食べたくて食べたくて仕方ないのでガンモドキを発明したように、したくてしたくて仕方ないので花街を発明したと考えられる。いけない人はその代償として、これから行く人にはその案内書としてこの本は読まれたと思う。兵士の中に代償、案内書を必要とした人がたくさんいたということだろう。小説は書かれた後は読者のもので作者の意図と異なってもそれは仕方のないものだと思う。

荷風さんは、代償になるものまたは案内書を美しい詩的な言葉で書いた人であろう。

 


断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む⑦ 案外2人は似ているのか

2022-10-16 14:50:46 | 日記

断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む⑦ 案外2人は似ているのか

 戦後家に関して不遇であちこち転々としたとき、ラジヲの音がうるさくてたまらんとあちこちに記載がある。噂では三島由紀夫は音に敏感で書斎は特に音がしないように設計したと聞きます。お二人は遠いか近いかは知らないのですが、血縁にあると聞いたことがあります。

 そういえば、能や歌舞伎を好んだこと、漢詩文に巧みであったか造詣が深かったこと、自分の紡いだ美のなかに住み続けたこと、何より親に言われたからかどうか大学卒業後数年間は会社勤めをしたこと。(荷風は横浜正銀少し前の東京銀行、三島は大蔵省)似ているところを探せばいくらでも出てくる。

 似ていないところはもちろん、一方は軍人政府を詩的な皮肉で繰り返し繰り返しダメ出しをし(私はこの皮肉がこの日記の中で一番塩味の効いたおいしいところだと感じています。)、一方は軍人を賛美する団体を自ら作ったところにあります。しかし、ご両者ともスポットライトを浴びていたいとする強い願望による行為だとみると同じじゃないでしょうか。必ずしも自分の作品がではなく、自分の人生そのものがです。荷風さんは作品(日記)にはしたけれど、作り物ではなく自分の人生そのものを練りこむようにして書いてあります。

 そこで、想像するのですがお二人とも小中学校のころに軟弱であるとしていじめにあったのではないか。いじめにあうと、すべてのクラスメートから自ら進んで浮き上がった存在になることで身を守ろうとします。これを「不思議ちゃんになる」と言うようです。荷風さんの奇人変人というのはこの浮き上がろうとする努力が癖になってずーと続いたのではなかったかと思うところがあります。それで腹いせにむかしいじめた奴が多くいる軍人政府の悪口を書き続けた。生まれつきの奇人変人ではなくそのように振る舞うことが自分を守ることだった、いつのまにかそれがトレードマークになったので変えるわけにもいかずマークを付け続けたのではないでしょうか。

 一方の三島さんは、みずから進んでいじめた側に同化する努力をした。その努力が行き過ぎた。ホームランでいいところ場外大ホームランにしてしまった、そんな気がするのです。いじめは軍隊にかぎらず人の出入りが自由でない社会構造の下ではよく見られる事象で、なぜ発生するかの研究には役立たないかもしれないが、いじめられた側がどういう反応をするかの研究にこの日記が役立たないかと思うところがあります。

 


断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む⑥ なぜ3度目の結婚をしなかったのか

2022-10-16 12:01:39 | 日記

断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む⑥ なぜ3度目の結婚をしなかったのか

 荷風さんは3度目の結婚をするチャンスは何べんもあったのになぜしなかったのか。しておればあの老後の日を追ってだんだん文字数が少なくなっていく日記を書かなくて済んだ。どこかで家族の手厚い看病を受けることになって日記は書かなくなっただろう。それを支える経済力は十分にあった。

 第一に考えられるのは、八重次さんへの慕情があったらしいこと。夢に八重次を見たとの記載がある。しかし気の毒なことに、荷風さん死後に刊行された追悼文集に八重次さんが寄稿して中身はひどくさばさばしたものだった。このあたりが、多くの男性読者の血涙を流させるところなのか。これがリアルな物語だから読む価値ありと見るところか。しかも古臭いとはいえ流麗な文章でつづられている。

 第二に考えられるのは、もう懲り懲りしたから孤独に生きていく決心をしたこと。(ここも多くの男性読者の同感を得るところか。日記の売れ行きには貢献したのではないか。)そのくせ花柳界には出入りして浮名を流していた。昭和2年だから荷風50代に差し掛かったころの関根うたさんとのいざこざは関根さん可哀そうに何とかならんのかと読者の手に汗を握らせる。関根さんは荷風没後も墓参りをかかさなかったというから、本当に勿体ないことをした。

 このあとも小説を書きたかったから、結婚すれば書けなくなると思ったのかもしれない。花柳界から足が遠のくので、小説のネタを取れなくなるおそれはある。わたしならこう言ったと思う。

「結婚してもあそこへは行かねばいかん。あれは、商品の仕入れに相当するんや。行かんかったらお店に商品を並べられないようになってしまう。小説書いたら印税の半分は渡すけど、半分は次の仕入れに使う。それでもいいか。」

 荷風さんはこうは言わなかったようで、その時関根さんは気がふれたふりをしたようだ。ここがまた手に汗握るところで、なまなましくて面白い。しかし、同じく追悼文集に関根さんが寄稿してあの時は気がふれたふりをしたと書いている。それを見破れなかったのだから、この人小説書くほどの人を見る力量があるのかどうか疑わしい。詩人でお坊ちゃんなだけと見える。しかし、そこがまたこの日記の魅力になっている。

 他人の日記を読んでいるのではない。その中にほかならぬ自分の顔を読んで恥ずかしくもあるが、反省することがあってそれは自分の人生に裨益するところが確かにある。単に面白いだけではなかった。

 


断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む⑤ 二度目の結婚

2022-10-14 13:06:37 | 日記

断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む⑤ 二度目の結婚

 お話違うけど、脳科学というのが流行りだしてその説によると人は快感を感じるものには中毒し依存するようになるという。酒たばこギャンブルによって物質某が脳内に放出されそれが快感をもたらすとある。対象は何でもありで働くことにまで中毒するという。(まさかと思うし今もって信じられないが、現物を見たことがある。)ならばお商売は簡単なことで、ヒトの脳内に物質某が放出されるようにしむければいい。○○を買って使えば幸せな気分になるようにしむければいい。ただそこまでが難しそうだが。

 さて、荷風さんはご自分が紡ぎだした美に中毒する人だったと考えられる。それはいいんだけど結婚する時が難儀で相手は自分の美の理解者でないといけない。少しでも理解が違っているとすぐに関係が破たんしてしまう。ましてや相手が少しでも違う美を主張しようものなら絶対一緒にはいられない。共同生活を始めてすぐに破たんしたゴッホとゴーガンみたいなことになってしまう。そんなことどうでもよさそうなのにそこが物質某のなせることなんだろう。

 考証 永井荷風 岩波現代文庫2010年 (秋庭太郎)の32番の写真に二度目の結婚相手八重次さんが載っている。日本髪の名のある芸者さんだろう。今なら大女優ではないか。しかし、短くして破たんしたようで荷風さんはこれに多くを語らない。一度目は親の決めた結婚でこれは荷風さんぼろくそに言っている。かなりのわがままでこれではお相手が気の毒である。

 こういう生き方を芸術至上主義というのだろう。それは傍目には幸せとは思えないところがある。少なくとも周囲は大迷惑だろう。今でもそう教えているかどうか知らないが「自分のよいと信じたことは最後までやりぬけ。」という小学校で教わる教訓がある。この訓話は無条件にいいとはとても思えない。訓話のない小学校は塩気のないおにぎりみたいなところもあるから、百も二百も様々な訓話をセットにして教え込んで、その場その場で適切なのを自分で選べという教育にするのが良くはないかと荷風のこの段を読んでつくづく思った。もう時代も変わったことだし、小学校も変わってもらいたいものだ。

 小説家とは人間観察業のことであると思っている。SF小説でさえも人情の機微に通じていなければいけない。荷風さんは小説家でありながら、結婚前に両者の人情の行く末について予想を立てることができなかった。これでは人間観察業としては成績悪くないかと長く考えていたがはたと気づいた。荷風さんは、本質は小説家ではなくて詩人なんだ。詩はまず売れない。小説なら売れるかもしれない。だから無理して小説を書いたんだと思う。もう確かめるすべはないが本人に確かめたいところである。


断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む④

2022-10-13 11:02:48 | 日記

断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む④

 たぶんこの本の読者は、孤独な男性の老人が多いはずである。女性蔑視の内容が多いから女性は孤独であってもまず読まないだろう。まず昭和33年34年から読んでだんだん書いてある中身が減っていき天気だけの記述になるところを見て気が重くなる。荷風は毎日外出をし普通に食べ、日々の生活には困らない以上の財産をもち名声もあった。訪ねてくるひともいる。それでもなお日記からは寂寥感が漂ってくる。これを参考になんとか自分だけはこれから逃れる工夫はないものかと読むのだと思う。多分ないと思う。

 この老詩人は、天気だけを記入することによってあなた孤独から逃れるすべはありませんよと詠っているようにみえる。華やかな花柳界に出入りし時代の寵児であった人にしてこうである。現在の大抵の読者は、時代を画するような仕事をした人であるかしたと本人が思い込んでいる人であろう。財産もある。たまには訪ねる人もいる。それでも荷風と同じであるかやや条件は悪そうだ。

 たいていの人は、昭和の東京の生活の感じが如何であったかを知りたいために、昭和の軍人政府に荷風がどんな悪態をつくかを読むために読み始めると思う。しかし最後の方に来てしまったまさかと感じるのではないか。自分は孤独から逃れるいかなる手当もしていなかった。

 古い時代の西洋では教会に全財産を寄贈して教会の庇護のもとに入ったという。東洋では子供に親孝行を徹底して教育しておき乗り切ろうとした。荷風の頃にはもうその伝統がなくなっていた。「老いて仏脚を抱く」という伝統も消えた。我が子を競走馬のように思い込んで、企業戦士に育てる風潮はさすがになくなりつつあるけど次にどうするかの方針は見えてこない。伝統に戻らない限り老人の孤独は消えないのではないか。

 大昔スパルタ国が戦士を育てるに熱心でいいところまで勝ち進んだけど最後には負けてしまった。文化を育てる国には勝てなかった。荷風でさえも人生の最後には当時の日本がスパルタによく似た時代であったことの影響をもろに受けたと考えられる。われわれもまた逃れられない可能性がある。せめて次の世紀にはそうならない種を遺すくらいしかできそうにない。

 人はその最後が幸せであってこそ幸せな人生ですよと荷風はノート最後に書きたかったと思う。もっともそこまで露骨に書かなかったところが詩人である。