本の感想

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日本銀行 我が国に迫る危機(河村小百合著 講談社現代新書)④読後感想

2023-05-16 22:04:07 | 日記

日本銀行 我が国に迫る危機(河村小百合著 講談社現代新書)④読後感想

 苦労して読み終えたけど得るものが少なかった。この本はこれから日銀はどうするのかそれに対して我々がどう対応すればいいのかが書かれているのではない。どのような政策を打ってきたのかを事細かく(もちろん批判的な言葉づかいではあるが)記載した論文の様なものである。新書なのだからちょっと苦労すれば読めると思っていたのが大間違いだった。

 どうやら想定されている読者層に私は入っていなかったようである。金融のプロを読者層にするのならこの本いくらも売れないだろう。現に本屋にいつまでも平積みにされたままで売れている風に見えない。私が編集者なら読者層はこういう人、こんなことを知りたがってるはずと目星をつけて原稿を発注するけど自由にお書きくださいとしたに違いない。筆者は腕によりをかけてありとあらゆる材料を揃えて料理を作ったと考えられるが、お客の方はとても消化しきれないものになっている。ちょうど満漢全席をたった一人で一時間で食べろと言われたようなものでありがたいような迷惑なようなということになっている。

 私なら、日銀の政策は第二次大戦後のイギリスの金融政策である金融抑圧を日本がこの十数年に渡ってとってきたと説明する。金融抑圧とは戦争中に発行した公債の償還をインフレを起こすことでやってしまおうという策で、だれが考えたか知らないがなかなか思い切った策である。イギリスポンドは対米ドルで1/5にまで下落したし名のあるイギリス企業が買収されたりした。

 果たして私の見方が当たっているかどうか知らないが、そうなら今後どんなことがおこるか予想はその類似で容易につくだろう。その予想を書いてほしかった。この本を読もうとしたことは私には失敗であった。

 


映画 アラビアンナイト三千年の願い

2023-05-14 12:39:50 | 日記

映画 アラビアンナイト三千年の願い

 千夜一夜物語のアイデアが西に行くと西遊記みたいな物語になるから、東(イギリス)の方へ行くとどういう物語になるのかと気楽に楽しい気分で見に行った。まず壺から出てきた召使が何でも三つの願いをかなえてくれるという。わたしなら、今後いかなる願いもすべてかなえるという願いを一つかなえてくれるだけであと二つはパスというか無効というかどうでもいいことにしておくんだけどな、なんでこの人この案を言わないんだろうとやきもきしながら見ていた。何しろ私は小さな願いが連続していくらでも湧いてくる心を持っている、三個ぐらいでは収まりがつかない。

 しかし、映画は荒唐無稽だがシリアスな方向に展開して、様々な見方があるだろうが私は仕事を優先した人(主人公の女性)のゾ~とするような孤独を描く映画(もちろん批判的にである)ではないかと観た。(もちろんハッピーエンドになるように作ってはあるが。)イギリスには孤独担当大臣までいるそうである。日本は、遺憾ながら七つの海を支配するところまでの発展はなかったものの海洋国家であるところは瓜二つであるからイギリスのあと追いをするのは目に見えている。日本にも孤独担当大臣ができるかもしれない。

 どうも資本主義は人々を競争させるために、孤独に陥らせる作用があるようである。高度経済成長が始まるまでの日本は、冷暖房はもちろんなく便所も汲み取りだしそこら中にハエが飛び回って不便で不衛生で困ったところだったが、年寄りの孤独というのはなかったように見受けられる。(介護施設なんかどこにもなかったような気がするけど)または、すべての年代で孤独は少なかったように見受けられる。その代わり過剰な付き合いが求められて面倒くさかったとも見える。

 家族を解体してバラバラの個人にした方が資本主義としては効率がいいのであろう。システムはそれでうまく作動するかもしれないが中にいる人間がアップアップしている、そういうことをこの映画は言いたいのであろうか。資本主義は行き詰っている、新しいシステムが必要であると言いたいのであろうか。

 だったらあの召使の魔人が語るシバの女王のエピソードやアラブのハーレムのエピソードは全体とどうつながるんだろう。様々なことを考えるために時間をおいてもう一度見たい映画である。


映画 パリタクシー

2023-05-08 18:06:53 | 日記

映画 パリタクシー

 フランス風の洒落の効いた小話を長い物語にしたような作品で、老婦人が施設に入ろうという道すがらその長い人生をタクシードライバーに語る設定になっている。もちろん、現在のドライバーの人生がそこにオーバーラップするようにはなってるけど、ドライバーの人生が大きなテーマではない。同時に老婦人の過去の人生はあまりに波乱万丈でちょっと作り物過ぎるんじゃないかと白けてくる。

 ポイントは多分タクシー運転手が話を聞いていくうちにだんだん周囲に対する自分の怒りを解いていくところにあるだろう。タクシー運転手はこの映画に出演しているんだが同時に観客の一員または観客代表である。劇中劇とはまた異なった劇中劇を見ているようなもんで、ここは大変手が込んでいる。こういう劇を発想できるのは実に頭がいい人である。

 ストーリーはだいたい真ん中あたりで落としどころはこうなるだろうと思って見ていると果たしてその通りであった。しかし、いろいろ考えさせられる内容を含んでいる。都会地に住んでいる人はこういう物語を時々見る必要があるように思う。都会地でなければさして必要でもない。都会地では競争が激しく周囲は皆敵の中でもがくもんだから疲れも孤独もあるけど何より(どうしてもうまくいかないから)怒りに取りつかれる。都会地でなければ、相互共同体のネットの中に乗っていると良いのであるからここまでの孤独怒りはないであろう。(そのかわりに失うものも多くてその最たるものは自由であろう)

 この怒りを他人の物語を聞きながら解いていくことができるのである。そう言えばローマ帝国の劇場では悲劇が上演されたという。人々は悲劇を見て、自分の怒りを解いてまた次の日からの都会地の中の競争に参加したと考えられる。昔の日本の武士が「能」を見て次の日に来るかもしれない命懸けの戦いに参加するのと同じである。

 こういう物語がヒトの心の中にある怒りや孤独不安を鎮める作用があることを発見した人は何時の時代の誰だか知らないが実にエライ人である。たぶんカタルシスということであろう。

 さらにこの映画の作者は、観客が見ただけでは怒りが治まらないかもしれないと恐れたのかもしれない、タクシードライバーを準主役に配してこの人の怒りが解けていく様を映したのである。皆さんもご一緒にどうぞと言わんばかりのことである。実によくできたシナリオである。

 存在感のある老婦人は、国民的歌手であるというからわが国でいうみそらひばりであろうが大変上手な役者さんである。フランスらしくちょっとした端役にも優れた役者さんを配しているからそこが見どころにもなっている。


目から火が出る話

2023-05-06 12:28:21 | 日記

目から火が出る話

忘れないうちに書いておきたい。もうずいぶん昔の話であるが、細かいところはともかく大筋は自信をもって事実であると誓える話である。

 

 昭和30年代には電信柱に勝手に個人が宣伝を貼り付けたりしていた。宣伝の中には習字の練習用の紙に「ちちもみします」と墨汁で大きく書いてその店の地図が添えられていたものがあった。電話番号は当時どこの家にもなかった時代であるから電話番号の記載はない。その地図の家の近くには私の友人が住んでいたので、友人に「ちちもみ」とは何かときいた。友人はお産のあとお乳の出ない人のお乳を出す技であると教えてくれた。出過ぎる人のを止めることもできるとも教えてくれた。またあのおじさんはとても上手い人であるとも言った。小学2年生であるからなるほどと思う以上の感慨はないのである。

 しかし私は当時から人と違う感性を持っていた。

「そこのお店お客あんまり来ないのんと違うんか。」

「おじさんいつもヒマそうにしてるで。いつ見ても本読んだり新聞読んだりラジオきいたりしてる。お客はいってるのん見たことない。」

わたしは、その時これだと直感した。朝から夜遅くまで忙しく働くなんてまっぴらごめんである。当時は子供がよく生まれた時代でかつミルクとかのない時代であるが、それでもちちもみやさんに行く必要のある人はそんなには居ないであろう。これは暇ないい仕事である将来はこれになろうと直感したのである。私は暇であることを仕事選びの第一条件にすることを当時から考えていた。父親のようにまたは隣のおじさんのように朝早くから夜遅くまで働いてそれで家に帰って母親から稼ぎについていちゃもんを聞くのはつらいと思っていた。近所の魚屋の大将のように魚を切るのは大変な肉体労働であれはできそうになかった。ちちもみやさんは力を要しないと想像される。

 その次の三年生になってからだと思うが、あるとき学級参観というのがあった。母親が教室の後ろで授業の様子を一時間見に行くのである。その日の放課後は何時ものようにあちこち遊びまわって夕方暗くなるころに家に帰ったところ、家の中が妙に暗くて物音がしない。悪い予感がしたが、ともかく家に入ると母親が暗いところに一人で座っている。学級参観に着て行ったキモノのままである。悪い予感はさらに高まる。

 ここへ座れというからとにかく座ると、いきなりお前は大きくなると何になるつもりかと聞かれた。これはきっと担任が私について将来心配であるというようなことを言ったに違いない。あの担任なら言いそうである。ここは常日頃からしっかり考えているということを明言して親を安心させねばならない。

「ウン、ちちもみやさんになる。」

と元気よく答えた。

こたえるのと、頭を張り倒されるのとが同時であった。そして張り倒されたときに薄暗かった室内に何が置いてあるかが一瞬であるがはっきり見えた。これが目から火が出るという現象であろう。出た火で一瞬だが周りがよく見えるのである。あちこちの本に書いてあることは本当にあることだと納得した。爾来本に書いてあるちょっとありえないような話(例えば聊斎志異のような)も本当だと思うようになったのは行き過ぎであるような気がする。

この将来何になるかの問題はその後も長く尾を引いて私も周りもそれに苦しんだがそれはまた別のことである。


日本銀行 我が国に迫る危機(河村小百合著 講談社現代新書)③私はなぜ読むのか

2023-05-05 17:20:08 | 日記

日本銀行 我が国に迫る危機(河村小百合著 講談社現代新書)③私はなぜ読むのか

 私の母方の祖父祖母は、母親に一生かかっても使いきれぬほどの巨額の預金を持参金にするようにと残したという。年の離れていた祖父祖母は母親の輿入れを見ることなく亡くなった。それが、預金封鎖で使えぬままインフレで消えたと母親は残りの生涯を泣き泣き暮らした。この場合、憎きは日銀だけではない気がするが母親は日銀を生涯憎んだ。もしそういうことなければ、私もお相伴にあずかって幼いころいい思いができたかもしれぬから私も恨みはある。または、学生の頃に甚だしい苦学をする必要はなかったかもしれない。就職に有利になったかもしれない。そうなるとますます腹が立ってくる。今度同じようなことするのは許さないぞとの思いである。

 試みに永井荷風の日乗の封鎖の日の記事を読むと荷風は淡々としている。その後も自分の小説が売れ続けたからであろう、金回りはよくずいぶんとスケベーの限りを尽くしたことを自慢げに日記に書いている。(そんなこと自慢するものでもない気がするが。)才能と運のある人にはかなわないと思うが、才と運のない人もせめて泣かずに生きていけるようにするのが公的な組織のなすべきことであろう。(ただし日銀は株式会社であるらしい。)

 もし日銀が破たんするならどんなことがおこるかを事前に知って対策をたてられるならたてたいというのが、私に限らずこの本の読者の等しく考えるところであろう。日本全土を覆う大津波みたいなもんだから逃げ場がない気もするが箱舟までとはいかずとも救命ボートくらいは何とかならないかと皆が思っているだろう。その何が起こるかは、日銀(に限らないけどいろいろな組織のなかで)で様々に計算されているはずである。なぜそれを公表しないのか。たいしたことなければ皆が安心するではないか。その公表無いからいろんな人がいろいろな脅しの文を思いついて出版して人々が右往左往する。

 著者によると「欧米の主要中央銀行は一般国民向けの説明を強化している。」しかし日銀のHPには「中央銀行がどうやって政策金利を上げ下げしていたかを説明する資料すらない。」らしい。日銀は公表すべき数字はすべて公表しているというであろう。しかし、その数字を読み解くほどの力のある人が市井にいると思っているのであろうか。いかなる場合であってもヒトを自分と同じと思ってはいけないのである。

 アイザック・ニュートンはイギリスの造幣局の局長だか長官を務めたという。決して名誉職で何の仕事もしなかったというわけではない。昔は中央銀行がないのだから造幣局が事実上の中央銀行であろう。この人決して運動方程式や重力発見だけではない。どこでどれだけのおカネが回るかの計算もできた人である。数学のできる人の一番いけないところは、他人も自分と同じ理解ができているはずと思い込むところにある。今度の総裁は数学科の卒業であると仄聞する。ヒトと自分は違うということを肝にメイジていただきたい。