欲しい物は何ですか?
食べたいものは何ですか?
等といろいろ質問されることがある。
隠居の昔、欲しい物は沢山あった。
欲しい物の数は健康のバロメーターだと思っていた。
しかし、年寄りになると欲しい物が無くなっていく。
まあ、金は欲しいのだけどw
その金は特別の何かを買うためではなく、生き延びていくために。
で、世間の人は何を欲しがっているのだろう?
そんな気分でネットを徘徊して分かったような気がする。
ブランド物のバックだとか綺麗な洋服とか、高い車だとか、広い庭のある家とか…
結局、誰かに見せる為の物がほとんどだ。
自分自身に価値がないので持ち物で価値を付加しようとしている。
食べ物でさえ写真を自慢げにネットに出している。
食べ物は最後はうんこだ。
まあ、確かに食べていかなければ生きてはいけない。
でもそれは栄養としての食べ物であって、見せる為の物ではない。
美味しければ良いのだけど、見るからに高級そうな店で…
まあ、本人が良いのだから隠居はどうでもいい。
高い物を買って「〇〇万円もしたんだぞ!」と自慢する人が居る。
と思えば「百円で買えた」と喜ぶ人もいる。
前にも言ったように、お金は物と交換するための引換券だ。
そのお金を得るために働く。
つまり自分の時間を使ってお金を得る。
お金は自分の限られた時間と言う事だ。
「いくら」と言う金額に意味はさほどない。
その「いくら」を得るためにどれほど自分の時間を費やしたか、それに見合う品物なのか?
自分の時間を使って買うのだから本当に必要なものを買うのが吉。
他人に見せる為の物を大金を使って買うことがいかにバカらしいか。
必要最低限の物を買えばよい。
なので、自分の時間を切り売りする必要はなく、必要なだけ働けば済む。
自分の時間をもっと有効に使うべきだ。
先ほど言ったように年を取ると欲しい物が無くなってくる。
いや、変わってくるといった方が良いかも。
健康とか家族の幸せとか。
でも、機動力もなくなり何もできない自分に気づく。
働く、つまり自分の時間を切り売りしようとしても誰も買ってくれない。
でも、出来ることもある。
隠居の場合、野菜を作ること。
自分と家族が食べる野菜を作る。
好きな時に好きな時間だけ使う。
これで良いと思った。
出来れば魚も釣りたい。
鶏も飼いたい。
まあ、それが欲しい物と言えば欲しい物。
でもこれは生きる事と同義だ。
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