![]() | サザエさん (11)長谷川 町子朝日新聞社このアイテムの詳細を見る |
昭和27年9月~28年8月に朝日新聞に連載。姉妹社刊「サザエさん」を文庫化。
昭和27年なんだが、まだまだ戦争を引きずっている。
P83 中国からの帰国少年をカツオが連れてくる。 マスオ、サザエ、波平を前に毛沢東と労働人民の組織について講義を始める。 P101 サザエ「ご主人がマヌス島からお帰りですって?」 この頃も引き上げが続く。 |
◆P101 マヌス島について調べた。激戦の地。
<パプア・ニューギニア地域概要> 正式名称、「パプア・ニューギニア独立国(The Independent State Of Papua New Guinea)」、通称PNG。南北には赤道から南緯十二度、東西には東経百四十一度から百六十度の間に位置し、面積は四十六万千六百九十三平方キロと、我が国の約一・二五倍の面積を有する。 パプア・ニューギニアは、ニューギニア島の東側半分の地、ニューブリテン島、ニューアイルランド島、ブーゲンヴィル島、マヌス島等の主要な島々とその他大小数千の島々から成立している。中央高地及び南岸の一部を除き熱帯雨林気候帯に属し、十二月から四月にかけて北西からモンスーンが吹き、五月から十月にかけて南東の貿易風が吹く。年間平均雨量は二千ミリ。首都ポートモレスビーにおける平均気温は最低二十二度、最高三十一度で年間を通じてあまり気温の変化は無い。 人口は約五百万人(国家統計局による二〇〇〇年推定人口)。首都ポートモレスビーに二十九万人と集中している。人口増加率は二・二六%である。パプア・ニューギニア人の多くはメラネシア系人種に属するが、少数のミクロネシア系人種やポリネシア系人種もいる。公用語は英語、共通語はピジン英語(Pidgin English)及びヒリ・モツ語(Hiri Motu)である。全国では約八百七十の異なる言語が使用されている。通貨単位はキナ(Kina)で、補助通貨単位がトヤ(Toea)。一キナは百トヤ。為替レートは、一キナ=0・三二五五米ドル(00年年間平均)である。時差は我が国より一時間進んでいる。宗教はキリスト教徒が多数、また祖先崇拝等伝統的信仰も依然根強い。住民一般を根強く支配しているのは、部族意識と同部族内相互扶助制度で、多くの住民は、各部族独特の伝統と習慣に従って生活している。 国旗は四対三の長方形で、左上から右下へ対角線で区切られた上部三角形に深紅色地に黄色の極楽鳥(国鳥)を、下部に黒字に南十字星を表す五つの白星を配している。国歌は正式には制定されていないが慣習的に歌われている曲が「さあ、立上がれ我が子達よ(O Arise All You Sons)」である。国花は特に制定されていない。 先住民はアジア大陸からインドネシアを経て移住してきたとされており、これら先住民が最初にニューギニアの沿岸部に到達したのは今から五万年前ではないかと推定されている。最初の移住者は狩猟に従事していたが、この後の移住者が農業技術を導入した。略史としては、十六世紀後半にヨーロッパ人の来訪があり、一八八四年、独がニューギニア北東部(独領ニューギニア)を、また英国がニューギニア南東部(英領ニューギニア)をそれぞれ保護領とした。一九〇六年、豪が英領ニューギニアを占領。一九二〇年、国際連盟が独領ニューギニアの統治を豪に委任。そして一九七五年に独立した。 政体は、英国女王をPNG女王として元首と仰ぐ立憲君主国家で立法、行政、司法の三権分立制の民主主義国家である。総督は、当国人の候補者の中から国会議員の秘密投票により選出され、任期は六年。立法権は議会(一院制)に属する。議員定数は百九名である。議員は普通選挙で選出される。 <ビスマーク・ソロモン諸島戦史> ビスマーク・ソロモン諸島の戦いといっても一つの作戦を示している訳ではない。昭和十七年一月二十三日のラバウル占領から昭和十九年三月のアドミラルティ諸島失陥によりほぼ終焉した三年余りに渡る一連の戦いを指している。戦場はビスマーク・ソロモン諸島における大小様々な島々やその近海に及び、また部隊は第十七軍(第二、三十八師団等)が中心であった。 ラバウルを占領した昭和十七年一月からの数ヶ月の日本軍は攻勢であったが、昭和十七年八月七日による連合軍のガダルカナル島上陸により徐々に劣勢となっていった。昭和十八年十二月、マッカーサー指揮下の南太平洋水域の諸軍は、ニューブリテン、ニューギニア両島間のビディアス、ダンピール西海峡の艦船通航を確保するための作戦を開始し、その周辺の防衛陣地を確保した。その後間もなく、グロスター岬とラバウルとの中間にある開拓地タラセーアが第一海兵師団の手中に落ちた。連合軍は日本軍の中枢基地であるラバウルを攻略する行動に出ず、同地の強力な日本の守備隊を孤立無援のまま坐して死を待つほかない状態に陥れた。 ラバウルの孤立化は昭和十九年二、三月中に完了した。ニュージーランド軍第三師団所属部隊は、ラバウルに強圧を加えうる航空基地を確保するため二月十五日、ニューアイルランド島南方のグリーン諸島を占領した。 二月二十九日には突如連合軍はアドミラルティ諸島中のロスネグロス島に上陸した。対する日本軍は輜重兵第五十一聯隊長(江崎義雄中佐)の指揮する輜重兵二中隊、歩兵二大隊弱であったが、ニューギニア島からの支援も受けられず、アドミラルティ守備隊は急速に戦力を失っていった。 三月七日第八方面軍はアドミラルティ守備隊に対し、ロスネグロス島確保の任務を解き、守備隊の全力を挙げて決死当面の敵を攻撃するよう命令した。方面軍はこの日をもって大勢が決したと判断したからであった。 ロスネグロス島は三月九日までには完全に連合軍の手中に帰するに至り、騎兵部隊はアドミラルティ諸島中の最大の島マヌス島へ移動した。守備隊は三月二十五日頃から残存陸兵をもって逐次ロスネグロス島からマヌス島へ転進し、同島山中で斬込戦に転じた。 四月下旬「守備隊ハ尚健闘中」との入電を最後に同島との連絡は途絶した。 連合軍は、アドミラルティ諸島中を占領したことによって、日本軍のラバウルへの交通線を遮断しうる基地を得ただけでなく、その後の西方への進撃に備える海・空軍基地、及び作戦基地を設営することが可能となった。 三月二十日、連合軍は無抵抗でビスマーク諸島のエミロー島を占領し、同島にも飛行場が建設され、ラバウル及びその北西二百五十キロのカビエンを取巻く基地軍による包囲網は完成した。こうして、戦略的には日本軍の二大基地ラバウル、カビエンを占領する必要がなくなった。十万以上の日本軍将兵は、戦線が西方と北方へ延びたので、結局、置去となったのである。 ビスマーク・ソロモン諸島では十一万八千七百名が戦死し、現在も多数の遺骨が野ざらしにされたままである。 <ビスマーク・ソロモン諸島派遣概要> 平成十四年三月十二日から同月二十三日迄の十二日間の日程で行われた、ビスマーク・ソロモン諸島派遣隊第一班に当団より二名が派遣され、厚生労働省職員五名、日本遺族会二名、戦友会三名、当団二名の計十二名により遺骨収集作業を行った。 第一班は三月十七日にケサック山に入り、ジャッカル村から更に奥地に進んだ洞窟において、一柱の御遺骨を収集した。翌十八日にロスネグロス島において「戦没日本人之碑」を調査した。翌十九日に、現地の方が保管して下さっていた御遺骨を二柱受領出来たので、計三柱の御遺骨の焼骨式及び追悼式を行った。 第二班は三月十六日にヌマヌマのコル小学校においてスコールに見舞われながらも収集作業をし、三十七柱の御遺骨を収集した。翌十七日に焼骨式及び追悼式をした。派遣団全体としては四十柱もの御遺骨を収集する事が出来た。 |
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