今年70歳になる叔父が言う。同窓会とか会社のOB会に出て皆が元気だなという話をするが元気だからこの場にいるわけで元気じゃあなかったら来ていないと皆で笑いあうと。
前後69年。前の大戦から69年。8月15日を前にテレビニュースでは前の大戦の番組が多くなる。登場するのは大戦経験者たち。皆お元気だ。矍鑠としている。矍鑠として戦争の悲惨さを語る。いや編集してあるからそうなるのかもしれない。
そんな戦争経験者の姿を毎年見ながらここ数年、思うことがある。彼らは長く生き過ぎたのではないかと。
長生きが悪いわけではない。それもみな心身共に健康に長生きされている。良いことだ。ただ心身共に健康だからこそテレビ番組に出られるわけだが。
私は彼らが語る戦争の悲惨さより、彼らが背負ってきた戦争体験の心の傷が気にかかる。
特攻隊の隊長をされていた方がいう。私は自分の隊員を残して異動になった。彼らは特攻に行った。私は異動に異論をとなえたが叶わなかった。ずっと生きていて良いのかと思ってきたと。生きてきて良かったんでしょうかと。
皆長生きされた。しかし百人に一人、千人に一人の生き残りだ。皆死んだ。それを見ながら生きた。生きて帰った時は幸せを自分の幸運に感謝したと思う。しかしだ、その人たちの何割かは生きれば生きるほど自分だけ生きていることに悩む。生きるのに精一杯だった時期もあったろう。その間もそういう思いがよぎることもあったと思う。そして自分の事だけを考える時間が長くなった時、何を思うのだろうか。長く生きれば生きるほどその思いは先鋭化される。
沖縄、長崎、広島には語り部がいる。何故か知らないがほかの土地にはいない。彼らは幸せだと思う。芸として思いを吐くことができるから。
そうではない人がいる。そんな厚かましいことが出来ない人たちがいる。その人たちの心のケアを日本は怠ってきたのではないか。そんなことを最近思う。大きなお世話だと笑い飛ばされるかもしれないが。
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