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武士の家計簿 - 磯田道史(新潮社)


磯田道史 「武士の家計簿」 ―加賀藩御算用者」の幕末維新  新潮社

武士の家計簿 ―「加賀藩御算用者」の幕末維新

新潮社

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2003年4月10日発行
2003年6月 5日8刷

著者は1970年岡山市生まれ。慶応義塾大学文学研究科博士課程修了。98-03年まで日本学術振興会特別研究員。慶応義塾大学、宇都宮大学、大妻女子大学の非常勤講師。


江戸時代を終わらせたのは武士。そして明治時代を始めたのも武士。それが良くわかる本。


以下メモより
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加賀藩御算用者の幕末維新

猪山家文書「鈴渓学術財団・盛田家」助成金で購入

金沢藩士猪山家文書に家計簿が含まれていた。天保13(1842)年7月から明治12(1879)年5月まで37年間と2ヵ月。欠けているのは弘化2(1845)年3月11日から翌年5月15日までの1年2ヶ月。金沢市立玉川図書館、ここには旧加賀藩士の家ごとの歴史書類が保管されている。「先祖由緒并一類附帳」という資料群である。この書類から猪山家は加賀藩の御算用者、会計処理の専門家であることがわかった。会計の専門家であるから精巧な家計簿が残ったわけではない。精巧な内容であるのは専門家であるからだが、家計簿を作りそれを永年運用してきたのは訳があった。猪山家には多大な借金があった。その額、年収の2倍。それを返済するため家計簿を付け始めたのが始まりではないのか。

P21 算術からくずれた身分制度
18世紀における世界史的な流れ。欧州も日本も国家や軍隊をつくる原理は身分による世襲。18世紀には数学が国家と軍隊を管理するための技術として意味を持つようになる。そこから貴族の世襲が崩れた。軍隊でいえば「大砲と地図」。数学的能力が必要な分野では身分にかかわらず平民から登用がはじまる。

S・ハッチントンの「軍人と国家」
中村好寿「21世紀への軍隊と社会」

ナポレオンも砲兵将校出身。18世紀以降の日本も幕府や藩は百姓町人を登用し行政をすすめるようになる。

京都大学名誉教授朝尾直弘「身分的中間層論」

P24
≪士分≫当主と嫡男だけが藩士として勤務
≪下級武士≫一家から能力しだいで何人でも勤めに出ることができたこのような実務系の下士が明治以降の官僚軍人として重要な位置をなした

身分的中間層論
江戸時代は厳しい身分制社会の様にいわれるが、文字通りそうであったら社会は回っていかない

P26 加賀藩の和算は驚異的な水準
石田信由 sin cos tan
日本最古のソロバンは前田家の蔵に残る

P28
普通一般
軍奉行→会計部門

加賀藩
御算用場(会計部門)→軍奉行(民生部門)

P38
蔵米知行、蔵米地方知行
どこに領地があろうが石高に応じた年貢米が藩庫から運ばれてくる制度

勧農 裁判 租率決定 年貢収納

地方知行制

武士が領地に対し本来行う

武士が乱暴に領地を経営すれば百姓は逃げる

宮崎克則「逃げる百姓、追う大名」

藩の官僚が「地方知行」を代行
加賀藩の場合、御算用場がこれを行う
蔵米知行が確立すると武士は土地と縁が切れた

P40
江戸時代の藩官僚の行政能力は明治時代に見事なまでに移植されていく

蔵米知行が確率した近世日本は封建制にあらず・・・経済史の速水融氏などが古くから指摘している学説

九州の西南辺境地域や東北の仙台藩などは武士が在郷して領地を経営していた

九州大学 高野信治
宮城学院大学 ジョン・モリス

P40
武士の領主権が現実の土地と結びつきが弱かったため、日本は比較的容易に明治時代という時代を向かえることができた

P43
御算用者は専門技術者
専門技術で仕える「家芸人」
相続原則はゆるやか
必ずしも長子相続が絶対ではない

P47
玄米二十五石(米一石=150kg)

P50
年貢米と夫銀
夫銀は労役を徴収していたころのなごり
銀で代納(西日本は銀、東日本は金)
春と秋の二回、知行地の百姓がじかに持ってくる。領主と領民が顔をあわせるのはこの時と正月だけ

P51
米一俵は四斗入(0.4石=60kg)
江戸時代は三斗五升、三斗三升
大石久敬「地方凡例録」に各地の「俵入」がくわしい
幕府の制度では三斗五升
1俵×0.35=玄米0.35石

P54
天保14年7月の金沢
金一両=銀75匁=30万円

P55
photo

P57
年収の2倍の借金は武士としては平均的な姿

P59
武士の借入先は武士仲間、親戚が多い
町人は武士に金を貸したがらなかった

P77
明治維新によって武士が身分的特権(身分収入)を失ったことばかりが強調される。しかし同時に明治維新は武士を身分的義務(身分費用)から解放する意味を持っていたことを忘れてはならない

P85
家来給銀
家来や下女の人件費
家来をたくさん雇っておくことは武士の義務
軍役のため
禄高百石につき四人(四分役)
禄高百国につき二人(二分役)

P92
武家の女性は生涯にわたって実家と絆が強い
嫁に行って10年たっても実家の父や弟から給料日がくると小遣いをもらっている

武士の妻の財産は夫とは別に管理されていた
理由は離婚が非常に多いため
死別も多い
家庭内での地位は子を産み嫡子を産み母となり年をへて行くうちに高くなり変化するものだった

P93
武士の離婚について
専修大学高木侃氏「武士の離縁状」
妻の財産は独立的
我々が漠然と抱いている封建的なイメージと実体は違うと考えたほうがいい

P119
袴は武士のシンボル
苗字や刀よりも袴の方が重要

P125
剣術修行は金がかかる
月謝は二匁以上
七日間の集中修行には七0匁五分二0文
武士の教育は文より武に金がかかる

P136
江戸時代の結婚には未婚でも既婚でもないグレーゾーンが存在した
結婚しつつある状態である
お試し期間がある

教育史の太田素子氏は土佐藩下級武士のイトコ結婚をとりあげ、無理がないかどうかを確かめるため施行期間が四ヶ月もあり、その間同居生活させた例をあげている

P146
打鞠
ポロのこと

P167
維新後の士族
東大廣田照幸氏の調査がある
猪山家の資料は維新後の士族の状況をとらえることができるものでもある

P179
なぜ士族は地主化しなかったか
フランスのフランス革命では貴族を断頭台に送る。しかし貴族の地主経営は完全には消滅していない。日本の士族が地主化するためには莫大な資金力と後発参入が可能な広大な土地、その二つが必要であったが、どちらとも日本には不足していた

P183
官僚、軍人という選択
猪山家の選択

P186
鉄道開業と家禄の廃止

P193
太陽暦の混乱

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