老後の資金がありません (中公文庫) | |
クリエーター情報なし | |
中央公論新社 |
私の友人から借りた本。読もうと思っていたら偶然友人が持っていることを知り借りました。
その友人はこの小説の主人公の篤子と同年代。違うのは若いころに離婚して家庭は持っていないこと。もう結婚はこりごりと一人で生きていくことに決めて、人生を楽しみながらも節約に努め、本人が言うにはこの小説の主人公の家庭の預金より自分の方が多いという。
前々から早期退職の話を二人でしていて、いくらあれば、そしてこのくらいの倹しい生活をしていれば、年金受給年齢まで生きていけるという話をしていたのだが、その友人が最近退職することを決めた。実行するそうだ。
責任や納期に追われない楽な仕事をしながら、足りないお金は貯金を取り崩しながら細々と65歳まで生きていくのだと。そのためには断捨離。彼女はとっくの昔に新聞の購読を止め、固定電話を解約し、車を手放し、持ち物を整理していた。そしてついに引っ越し先を決める段階に入った。
しかし年金がもらえるまで後15年はある。長い。会社が迷惑な顔をするまで居れば良いと説得するも、意思は変わらない。彼女は言うのだ、金の過多ではない、自分はまだ気力があるときに新しい人生を始めたいのだと。
こういう姿を見ているとしがらみの無い独り身は良いもんだと思う。そういうと彼女は心配事は尽きないと怒るけど。
さて、小説の話。
老後資金の1200万円は娘の結婚式費用と舅の葬儀費用に消えた。おまけに50歳を過ぎて夫婦そろってリストラ。神も仏もない。一寸先は闇。姑と同居を始めたあたりから一気にエンターテインメントへ。
主人公の篤子の後藤家は夫と一女一男の四人家族。分譲マンションのローンも返済の目途がついた。他家に嫁いだ義妹がおり、こちらの夫は民間企業の研究職で年収一千万円超の生活。舅と姑は東京に持っていた和菓子屋をたたんで売り払い2億円の資金を持って千葉の妹夫婦の近くに家を建て、今は高級ケアマンションで暮らしている。夫の定年後は旅行でもしながら気楽な老後を送るはずだった。
その順風満帆に見えた後藤家を立て続けにライフイベントが襲う。娘の結婚、舅の死。娘の結婚相手は田舎でスーパーマーケットを経営する成金。見栄を張った結婚式になるが費用は折半。舅姑は贅沢な暮らしで2億円を使い果たしていたし義妹夫婦は近くに住んでいた分、これまで舅と姑の世話に金がかかったと葬儀費用一切出すことを拒んだ。老舗の和菓子屋を営んでいた舅の葬儀はそれなりの体裁がいる。この二つだけで老後資金は底をつく。おまけに夫婦そろって仕事を失ってしまう。夫の会社は倒産に近い状況。期待していた退職金は出なかった。
金に困った後藤家は姑への仕送りを止めることを決断し義妹にその旨を告げる。毎月9万円は大きい。ケアマンションも解約してほしい。千葉の家で暮らせばいいと。あなたの家庭の事情なんか知らないと怒り狂う義妹。話しがまとまらない。夫はあてにできない。篤子は姑を自分たちのマンションへ引き取ることをつい言ってしまうのだ。
無職の夫婦、国民年金暮らしの姑の生活が始まる。一向に生活は楽にはならない。貧すれば鈍す。篤子は姑と妙な仕事へ手を染めてしまうのだった・・・・。ここからエンターテインメントの始まり。
読みおえて思うこと。家族って何。友人とは何。コミュニティとは何。親しき仲にも礼儀ありは正しいが、互いに牽制しあうような探り合うような関係は辛いだけ。
知恵を絞れば、まだまだ様々な可能性が残されているらしい。
金はあることに越したことは無い。けどそれよりももっと大事なものがある。それは金では手に入らないものなのだ。
(野田文庫)