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火星に住むつもりかい? (光文社文庫) |
クリエーター情報なし | |
光文社 |
かつて東ドイツにあったシュタージ(秘密警察)は徹底した監視態勢で反体制分子の密告を奨励し、親が子を売り、子が親を売る社会を作り上げた。そんな警察組織が日本に出来上がった時代のお話。治安維持を任とする平和警察は市民からの密告で逮捕した一般人を次々に公開処刑していく。ギロチン。公開処刑に熱狂する市民。そこに黒い装束をまとった謎の男が表れて果敢に平和警察に挑んでくる。正義はどっちだ。
ところで私は喫煙者です。最近電子煙草に変えたのですが、それまではタールが入ったごく普通の煙草をたしなんでいました。
最近はとても喫煙者に厳しく、街中では煙草を吸える場所はそうそうありません。よく見かけるのがコンビニの入り口。灰皿が置いてあります。ありがたやありがたやとその場所に陣取り、広重の東海道五十三次「袋井・出茶屋ノ図」よろしく煙草をふかしていました。
そういう時にたまにですが非喫煙者のオバサン、オジサン、時にはオニイチャンがこれ見よがしに、ある人は口を手で押え、おる人は手のひらを顔の前でヒラヒラとやりながら、ある人は一瞥を私に加えながら奇声を発して(何か私に向かって言っているのですが、速足で逃げるように立ち去りながらの発声なので聞き取れない)私の前を通り過ぎていきます。なんか怖いんですけど。
でね、若い女の子や若いイケメンのお兄ちゃん、いかにもという人、集団相手にはそういう行動に出ないのね、彼らは。明らかに私を選んでの行動です。与し易い(くみしやすい)と思ったか。安パイだと見えたかな。それ偽善っていうんだぞ。この小説にも出てくるけど。
なんか私は悪いことしたのだろうか。慎ましやかに許される場所で権利を行使しているだけなのに。私は悪か?いやいやいや、これ差別ちゃうか?
一見とても普通に見え、見えるだけじゃなくて普通に暮らしておられる人たち。ノイジィでなく(もしかしたらノイジィかも知れないが・・・)、きっと一般的には真面目な人と評されるのかも知れない方々。そういう方々が一旦何か大きな流れ、大きな意思、そういうものに乗った時、こういう行動は許されると思った時、その流れに反する者に対する態度はこれ見よがしになり、そのうち苛烈になっていくのではないだろうか。大袈裟ですね・・・。
最近の嫌煙者(モンスター嫌煙者というのもいるらしい)を見ていて差別ってこういう一見普通に見える人が集まってやるもんなのだろうな、と思っています。正義の大勢は我にあり。ゆえに我の行動は許される。
この本、そういうお話しです、たぶん。
最近よくTVドラマや映画で見る手法というのか作り方というのか、物語が二転三転する。篠原涼子のアンフェアみたいな感じ。終盤で、あぁこの小説はこういう作りだったのかと気づく。
怖いのは権力を持った警察か、それに便乗する市民か。組織の行動はその頭によって変わるということで終わる。
そう市井の人はどうしようもなくバカなのだ。手のひらの傾け方であっちに行ったりこっちに行ったり。そういうことなのだろう。
(私物)