1883年、モネは終の住処となるジヴェルニーに移住する。
1890年、ジヴェルニーの家と土地を正式に購入する。
1893年、自宅の南側に鉄道を挟んで隣接する土地を入手する。その土地で「水の池」の造成に着手する。
1895年、「水の池」に日本の浮世絵から想を得た太鼓橋を架ける。
1899年、植栽が根付いた時期、太鼓橋をモチーフとする「睡蓮の池」連作12点を制作する。
1914年頃から、「睡蓮の池」をモチーフとした「大装飾画」の制作に取り組む。それはオランジェリー美術館の「睡蓮の部屋」として結実する。その過程で習作あるいは非採用となった作品が多数制作されている。そのなかの3点が国立西洋美術館の所蔵となっている。その縦のサイズは全て2Mである。
モネ
《睡蓮》
1916年、200.5×201cm
国立西洋美術館
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2019年の国立西洋美術館「松方コレクション展」のトップバッターを務めた作品。
松方幸次郎が1921年頃にモネのアトリエから直接購入。フランス政府の接収後、1959年に寄贈返還され、国立西洋美術館所蔵となる。
国立西洋美術館の顔として、1962年のコレクション巡回展で神戸と名古屋へ出張した以外は館から出たことのない「箱入り娘」。2013-14年のポーラ美術館との共同企画「モネ、風景をみる眼」展でも館所蔵のモネ作品で唯一箱根に行かなかったほどである。
モネ
《睡蓮、柳の反映》部分
1916年、199.3×424.4cm
国立西洋美術館
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/05/44d4ca8fd94b0f3cfc4e26b1e7905fe2.jpg)
2019年の国立西洋美術館「松方コレクション展」の大トリを務めた作品。
松方幸次郎が1921年頃にモネのアトリエから直接購入。
1923年、関東大震災の被災者のためにパリの画廊で開催されたモネ回顧展に出品されるも、「大装飾画」制作途中に関連作を見られたくないモネの抗議を受け、1週間ほどで撤去されたという逸話があるようだ。
第二次大戦中にコレクションを疎開させる過程で大きく損傷。寄贈返還の際、破損作品として返還作品リストから漏れ、そのまま忘れ去られる。2016年にルーヴル美術館の収蔵庫にて再発見。松方家からの寄贈という形で、2017年12月に国立西洋美術館の所蔵となる。
実に痛々しい姿である。
モネ
《黄色いアイリス》
1914-17年頃、200×101cm
国立西洋美術館
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/a1/53b1ee72e7103dd909429d150a604666.jpg)
本作品は、旧松方コレクションではない。モネの次男ミシェル・モネが相続し、その後売却。所有者が何度か変わったのち、1986年に国立西洋美術館が購入する。背景にプラザ合意以降の円高があったのだろうか。政府のドル減らし政策により館に通常の6倍の絵画購入予算がついたのは、翌1987年のことである。