佐伯祐三 自画像としての風景
2023年1月21日〜4月2日
東京ステーションギャラリー
その2である。(その1)
本展の後半、2章、3章、エピローグを記載する。
【本展の構成】
プロローグ 自画像
1-1 大阪と東京:画家になるまで
1-2 大阪と東京:〈柱〉と坂の日本-下落合と滞船
◎親しい人々の肖像
◎静物
2-1 パリ:自己の作風を模索して
2-2 パリ:壁のパリ
2-3 パリ:線のパリ
3 ヴィリエ=シュル=モラン
エピローグ 人物と扉
2章1「パリ:自己の作風を模索して」
1924〜25年制作の風景画9点。いかにも作風模索中といった感じの作品が並ぶ。
ここでは鳥取県立博物館所蔵の《オーヴェールの教会》。
オルセー美術館所蔵のゴッホ《オーヴェールの教会》のモデルである教会を、ゴッホと全く同じ角度から描いた作品。
画面は縦長のゴッホと横長の佐伯、激しい色彩のゴッホと実態に近いだろう茶系統主体で落ち着いた色彩の佐伯、と相違はあるが、全く同じ角度から描くことでのオマージュが興味深い。
佐伯はゴッホを敬愛していたらしい。
ガシェ博士のコレクション約20点のほか、著名な収集家オーギュスト・ペルランや画商ベルネーム=ジュムのコレクションのゴッホ作品を実見しているという。
2章2「パリ:壁のパリ」
「1次パリ滞在時代(ヴラマンク後)」のパリの街、1925年制作の24点。
どの作品も楽しいが、特に楽しいのは同じ場所を描いたバージョン違いが並んで展示される作品。
例えば、
《コルドヌリ(靴屋)》は、アーティゾン美術館所蔵と茨城県近代美術館所蔵。
《レ・ジュ・ド・ノエル》は、和歌山県立近代美術館所蔵と大阪中之島美術館所蔵。
《広告のある門》和歌山県立近代美術館所蔵と《門と広告》埼玉県立近代美術館所蔵。
2章3「パリ:線のパリ」
「2次パリ滞在時代」のパリの街、1927〜28年制作の25点。
画面左に大きく描かれる赤い広告看板の文字「PICON」(苦味が特徴の薬草酒らしい)が印象的な、個人蔵《ピコン》。
カフェの黄色いテントと街を歩く厚着の人々が印象的な、大阪中之島美術館所蔵《カフェ・タバ》。
代表作中の代表作、東京国立近代美術館所蔵《ガス灯と広告》。
新聞社が所蔵するならこの作品だろう、朝日新聞東京本社所蔵《新聞屋》。
文字だけでない、図柄のあるポスターも描いたメナード美術館所蔵《街角の広告》&大阪中之島美術館所蔵《広告(アン・ジュノ)》。
同じくレストランの店先を描いたアーティゾン美術館所蔵《テラスの広告》&大阪中之島美術館所蔵《レストラン(オテル・デュ・マルシェ)》。
まさかこの建物を詩情をもって描いてしまうとは、アーティゾン美術館所蔵《共同便所》。
私的には《工場》2点。同じ煉瓦造りの煙突のある建物が、田辺市立美術館所蔵の画面正面に堂々と描かれる姿と大阪中之島美術館所蔵の歪んだ世界の後景に歪んで立つ姿で描かれる。
《ガス灯と広告》
1927年、東京国立近代美術館
(所蔵館にて撮影)
3章「ヴィリエ=シュル=モラン」
1928年2月10日から下旬、佐伯は、パリから1時間ほどの小さな村モランに、妻・娘や画家仲間とともに滞在し、制作に没頭する。モラン滞在時の作品14点。
モランの教会をいろんな方向から繰り返し描いた作品群。
一時期には約120点もの佐伯コレクションを作った実業家・山本發次郎が初めて佐伯に出会った作品の一つだという、堂々とした存在感のある《煉瓦焼》。
なお、山本の佐伯コレクションの多くが戦災により消失、岡山県に疎開させていた約40点が残り、そのうち33点が1983年に遺族から大阪市に寄贈。大阪中之島美術館は、その後の購入と寄贈により現在約60点の佐伯作品を所蔵しているとのこと。
エピローグ「人物と扉」
1928年3月、病床につく直前に制作したとされる、最後の作品5点が展示される。
《郵便配達夫》《郵便配達夫(半身)》は、偶然に自宅を訪れた郵便配達夫に創作意欲をかき立てられ絵のモデルを依頼、1日でグワッシュ1点(戦火により焼失)と油彩2点(本展出品作)の計3点を制作したという。
ゴッホの「ジョゼフ・ルーランの肖像」を想起していたのだろうか。
《ロシアの少女》は、自らモデルとして売り込みにきたロシア亡命貴族の娘を描いたもの。全身立像(戦火により焼失)と半身像(本展出品作)の2点を描いたという。
《扉》と《黄色いレストラン》は、最後の野外での制作作品。
《扉》は、建物の扉のみが描かれる。目立つ「27」は、通りの番地を示す。《黄色いレストラン》も建物の扉が主役だが、左手に立つ女性が描かれている。
前期・後期と1度ずつ訪問し、佐伯作品を満喫する。
実質初佐伯であった2008年時はただ圧倒されていたが、今回は落ち着いて鑑賞する。
1918年に28歳で亡くなったエゴン・シーレと1928年に30歳で亡くなった佐伯祐三の回顧展が、会期を同じくして開催されているのも面白い。
同じく早逝であるが、10年間の年代の違いは大きいだろう。第一次世界大戦に画業が重なったシーレと、1920年代の狂騒の時代のパリに滞在した佐伯。
さらに大きいと思うのは、スペイン・インフルエンザに罹患するまで自分の死を予期することはなかっただろうシーレに対し、自分の余命を意識しつつ画業に取り組んだだろう佐伯。
本展は、このあと、大阪中之島美術館に巡回する。
大阪中之島美術館では、大原美術館所蔵作品も登場するなど、さらに出品作品も拡大する感じで、さらに見応えがありそうだ。