メアリー・カサット展
2016年6月25日~9月11日
横浜美術館
メアリー・カサット展を訪問する。
写真撮影に励んだ夜間特別鑑賞会以来、2回目の訪問。
メアリー・カサット(1844-1926)作品を楽しんだのは勿論だが、改めて注目したのが、カサットの同時代の女性画家6人。
出品数は1点ずつ(一人だけは3点)で、代表作ではないかもしれないが、キャプションの力で興味深く鑑賞する。
*以降の会場内の画像は主催者の許可を得て撮影したものです。
「カサットとともにパルマでルネサンス絵画を研究」
エミリー・サーティン(1841-1927)
1871年、再渡欧するカサットに同行。パルマでルネサンス絵画の研究に勤しむ。
米国生。彫版工・出版人として成功した彼女の父親は、娘が男性と同様にキャリアを築くことに支援を惜しまなかった。
パリに移り、1875年サロン入選。帰国後、フィラデルフィアで活躍。女性デザイン学校の校長も勤める。
【出品作(画像の一番右側)】
《題名不詳》
1887年、ペンシルヴェニア美術アカデミー
「印象派の4大女性画家」
ベルト・モリゾ(1841-95)
第4回を除き7回の印象派展に参加。
マネの弟ウージェーヌと結婚、1878年に娘ジュリーが誕生、夫や娘を題材にした作品を多く描く。日本でも2007年に回顧展が開催されている。
マネの絵画のモデルとしても知られる。
エヴァ・ゴンザレス(1849-83)
師事するマネに従い、印象派展には参加していない。
1879年に画家アンリ・ゲラールと結婚、サロン出品を続けていたが、出産時に34歳で死去する。
マリー・ブラックモン(1840-1916)
第4、5、8回の印象派展に参加。
17歳でサロン出品。1869年、版画家フェリックス・ブラックモンと結婚。印象派展への参加を通じて才能を開花させていくが、それを快く思わない夫が活躍を厳しく制限。精神的消耗の末、1890年、制作を辞める。
【出品作】(画像の左から順に)
ベルト・モリゾ
《縫い物をする女》
1879年頃、オルブライト=ノックス・アート・ギャラリー
ベルト・モリゾ
《赤ん坊の顔》
1872年、個人蔵
ベルト・モリゾ
《バラ色の服の少女》
1888年、東京富士美術館
エヴァ・ゴンザレス
《画家の妹ジャンヌ・ゴンザレスの肖像》
1869-70年頃、個人蔵
マリー・ブラックモン
《お茶の時間》
1880年、プティ・パレ美術館
カサットと壁画競作
メアリー・フェアチャイルド・マクモニーズ(1858-1946)
米国生。1885年、渡仏、サロンに出品。1893年シカゴ万博の「女性館」内部の壁画制作をカサットとともに依頼され、「原始の女性」(カサットは「現代の女性」)を主題とする壁画を制作する。1888年彫刻家フレデリック・ウィリアム・マクモニーズと結婚、1909年離婚。同年画家ウィル・ヒコック・ロウと再婚。1910年、米国に戻る。
【出品作(画像の右側の作品)】
《そよ風》
1895年
テラ・アメリカ美術基金
左の作品は、メアリー・カサット《果実をとろうとする子ども》1893年、ヴァージニア美術館
宗教画・神話画で活躍
エリザベス・ジェーン・ガードナー・ブグロー(1837-1922)
米国生。1864年、渡仏。1868年、カサットとともに米人女性画家として初めてサロン入選。1877年、ウィリアム・アドルフ・ブグロー(1825生)と出会い、その後結婚。その教えに忠実に伝統的な画法によって宗教画・神話画を制作、サロンにて活躍する。
【出品作】画像なし
《羊飼いのダヴィデ》
1895年頃
国立女性美術館
〈公式サイトより〉
19世紀後半は、まだ女性の職業画家がとても少ない時代でした。女性たちはエコール・デ・ボザールへの入学が許されず、主に有名画家の私塾で学び、ルーヴル美術館で巨匠たちの作品の模写をして腕を磨きました。本展では、カサットと関係のあった同時代の才能豊かな女性画家たち、フランス印象派のベルト・モリゾ、エヴァ・ゴンザレス、マリー・ブラックモン、アメリカからフランスに渡り研鑽を積んだエリザベス・ガードナー・ブグロー、シカゴ万博女性館の壁画でカサットと競い合ったメアリー・マクモニーズなどを紹介します。