東京でカラヴァッジョ 日記

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「没後100年 中村彝展」(茨城県近代美術館)

2025年01月10日 | 展覧会(日本美術)
没後100年 中村彝展  -  アトリエから世界へ
2024年11月10日~2025年1月13日
茨城県近代美術館
 
 
 水戸市生まれの洋画家・中村彝(1887-1924)。
 
 私的に思い浮かぶ作品としては、
 
 まずは重要文化財指定、東京国立近代美術館所蔵の《エロシェンコ氏の像》。その常設展で、しばしば見ている。
 次に、アーティゾン美術館所蔵、レンブラント風の画家22歳の《自画像》。そのコレクション展でときどき見ている。
 そして、中村屋創業者夫妻の長女、1898年生の当時15歳頃の相馬俊子をモデルとした「少女像」。展覧会などで愛知県美術館所蔵作品を見たことがある。
 
の3点くらい。
 
 そんななか、2024年10月に中村屋サロン美術館の「中村屋の中村彝」展  -  中村屋所蔵7点のほか、特別協力の茨城県近代美術館所蔵20点、愛知県美術館所蔵2点など33点の出品(後期)による回顧展を見る。そこで没後100年記念の本展の開催を知る。
 
 今般、2025年の美術鑑賞はじめとして、閉幕近くの本展に滑り込み訪問する。
 
 《エロシェンコ氏の肖像》*も《自画像》も愛知県美術館所蔵を含む8点(現存10点中)の相馬俊子をモデルとした「少女像」も出品される120点規模の大型回顧展。
*重要文化財の公開日数の制限に従い、12月22〜28日の間はパネル展示であったらしい。
 
 中村屋サロン美術館の回顧展が予習となって、スムーズに鑑賞に集中する。
 
 
 
 レンブラント風の自画像、セザンヌ風の静物画、ルノワール風の人物像、ゴッホ風の静物画、エル・グレコ風の自画像、キュビスム風の静物画など。
 
 西洋美術を吸収し、自らの絵画を確立しようとしたことが伝わってくる。
 
 37歳と若くして亡くなったこと。
 床に伏すことが多く、思うように制作できなかったこと。
 洋行の夢を持つこともできず、西洋美術の実物を見る機会はほぼない当時の日本では、国内出版物の掲載図版、複製写真、丸善が取り扱う非常に高価な輸入洋書などが頼りであったこと。
 *中村は、軍人を目指した陸軍地方幼年学校時代に仏語を学び、後年、洋書を読む際に役立ったという。
 
 これらが違っていれば、さらなる展開が望めただろう。
 
 本展では、中村や当時の洋画家たちが何を見ることができたのかの紹介にも力を入れている。
 
 大原美術館所蔵のルノワール《泉による女》が、本展に特別出品されている。
 大原孫三郎が満谷国四郎を介して巨匠から購入したらしい本作は、1915年3月の第13回太平洋画会にて公開され、中村も観て衝撃を受ける。
 中村は、「これまでは随分無駄をやって居たなァ」と語ったという。重い言葉だ。
 
 また、1920年9月の仏蘭西近代絵画及彫塑展覧会にて、岸本吉左衛門と中澤彦吉のコレクションが公開され、中村は会期初日に行く。
 出品作は、ロダン彫刻4点+画稿・素描67点、ルノワール5点や、マネ、ドガ、ピサロ、セザンヌ、マティス、シモンの計88点。
 中村は、「ルノワールとロダンは、僕を極度にまで興奮せしめ狂喜せしめて、昨夜は丸で一睡も出来なかった」と支援者あて手紙に記したという。
 
 1921年以降は、ゴッホ《向日葵》、セザンヌ《帽子を被った自画像》、モネ《エプト河の釣り人たち》などが将来したり、大原孫三郎や松方幸次郎のコレクション展が開催されるなど、機会も増えてくる。「泰西名画」ブームと言われるものが興りはじめる。
 しかし、床に伏すことが多くなった中村が、それらを見たという記録はないらしい。
 西洋絵画実物を実見したことが明らかなのは、ブーム前の1912〜20年に、前述の2つの展覧会を含めて5度の機会であったという。
 
 
 そんななか、中村は1枚の作品を生み出す。
 
 1920年9月1日に仏蘭西近代絵画及彫塑展覧会で観たルノワール、その興奮さめやまぬ9月9日、盲目のロシア人詩人ヴァスィリー・エロシェンコの肖像画を鶴田吾郎とともに描きはじめる。
 
(所蔵館で撮影)
 
 《エロシェンコ氏の肖像》は、制作翌月の帝展に出品、高く評価される。
 1922年にはパリの日本美術展に出品され、ここでも高く評価されたという。
 1977年に重要文化財指定。日本近代洋画としては、髙橋由一、浅井忠、青木繁、黒田清輝、藤島武二、岸田劉生に続く7人目・11点目と、かなり早期。
 
 
 
 1912-14年の相馬俊子。
 1920年のヴァスィリー・エロシェンコ。
 
 中村は、彼ら強烈なモデルたちを日本近代洋画史に輝かせる。
 
 
 
 茨城県近代美術館は初訪問。水戸市自体も初訪問。
 水戸市滞在予定時間は約3時間。駅に着いて即タクシーで美術館へ、鑑賞後は館敷地を出て道を曲がるのは僅か1度、全力の徒歩15分弱で駅南口に到着し、即電車に乗る、という美術館に行って帰るだけの計画であったが、行ってよかった。


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