ターナー展
2013年10月8日~12月18日
東京都美術館
英・テート美術館所蔵作によるターナー(1775-1851)の回顧展。
印象に残った作品(油彩画の大作が中心)を記載する。
1章 初期
ターナーの実家は理髪店だったとのこと。
2章 「崇高」の追求
1802年、英仏戦争が暫定休戦となり、ヨーロッパ大陸を初訪問したターナーは、アルプスを見る。
No.23≪アンデルマット付近の「悪魔の橋」、サン・ゴッタルド峠≫(1802)
スイスのウーリ州・ゲシェネン(ドイツ語圏)とティチーノ州・アイロロ(イタリア語圏)の間にあるサン・ゴッタルド峠の「悪魔の橋」は、名前のとおり恐ろしげ。
No.26≪グリゾン州の雪崩≫(1810発表)
1808年、スイス・グリゾン州・セルヴァにて(一山小屋だけで)25名の命を奪った雪崩を背景とした作品。
3章 戦時下の牧歌的風景
1803年、戦争が再開する。
No.37≪スピットヘッド:ポーツマス港に入る拿捕された二隻のデンマーク船≫(1808発表)
長く続く戦争の時代。デンマークは敵国とみなされていた。
4章 イタリア
グランドツアーの時代、ターナーは、戦争終了後の1819年(1回目)、1828年(2回目)に、イタリアを訪問する。
No.49≪ヴァチカンから望むローマ、ラ・フォルリーナを伴って回廊装飾のための絵を準備するラファエロ≫(1820発表)
No.50≪レグルス≫(1828発表、1837加筆)
「まばゆいばかりの光」が描かれている。
今回のマイ・ベスト。
5章 英国における新たな平和
6章 色彩と雰囲気をめぐる実験
「カラー・ビギニング」、水彩による私的試行作品が並ぶ。
7章 ヨーロッパ大陸への旅行
「ぎらつきような黄色」
ターナーが好んで使用したクローム・イエローの絵具。
人は、「黄熱にかかっている」「カレー・マニア」と酷評したそうである。
当時の英国にとって「黄熱病」や「カレー」がどういう存在だったのか知らないが、大英帝国らしい例えだなあ。
8章 ヴェネツィア
ターナーは、生涯3度ヴェネツィアを訪問したが、ヴェネツィアをテーマとした作品に取り組んだのは2回目(1833年)と3回目(1840年)の訪問時である。
No.92≪ヴェネツィア、総督と海の結婚の儀式が行われているサン・マルコ小広場≫(1833)
No.93≪ヴェネツィア、嘆きの橋≫(1840発表)
No.99≪サン・ベネデット教会、フジーナ橋の方角を望む≫(1843発表)
9章 後期の海景画
No.101≪海の惨事(別名「難破した女囚船アンビトリテ号、強風の中で見捨てられた女性と子供たち」)≫(1835頃?)
1833年、オーストラリアに向かう女囚船アンビトリテ号が難破。
女囚、その子供、そして船員の乗員計136名のうち133名が亡くなった、当時スキャンダルとなった事件を取り上げている。
コストをかけてオーストラリアまで運ぶ女囚とは、どういう女囚だったのだろう? (図録の解説には、娼婦10名、子供12名、船員16名の記載はあるが、残る女囚?約90名は?)
本作は、未完。
10章 晩年の作品
No.111≪ウォータールー橋上流のテムズ川レグルス≫(1830-35)
絵の左側には2本の煙突からもくもくと黒い煙。
絵の右側には「ランベル製鉛所の弾丸製造塔」がうっすらと描かれている。
産業革命の時代、蒸気機関を使用した紡績工場・製鉄工場、蒸気船や蒸気機関車の発達。
大気汚染が一層悪化したロンドンが描かれる。