東京でカラヴァッジョ 日記

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ノイエ・ピナコテークの19世紀の美女3選

2019年03月29日 | 西洋美術・各国美術
  ドイツ・ミュンヘンのノイエ・ピナコテークは、「ゴヤからピカソまで」の時代の美術を対象とする美術館。それ以前はアルテ・ピナコテークが、以降はピナコテーク・デア・モデルネがカバーする。
 
 
  さて、ノイエ・ピナコテークの19世紀作品から、一度見ると忘れられない、妙に印象的な美女3選。
 
 
ヨハン・フリードリヒ・オーファーベック(1789〜1869)
《ヴットーリア・カルドーニ》
1821年
 
  画家はドイツ・リューベックに生まれる。ウィーンで学び、1810年にローマに来て、ナザレ派の画家として活躍。生涯をローマで過ごす。ナザレ派というのは、ドイツにおけるラファエル前派のようなものか(時代的にはナザレ派が早い)。
 
  モデルの女性は、ローマ近郊の村アルバーノのワイン農家の娘ヴットーリア。当時16歳。ローマの多くの画家のモデルを務め、特にナザレ派の画家にとって彼女の顔は美の規範であると大のお気に入り、彼女を描いた作品は100点以上も現存するらしい。34歳のときウクライナ出身の画家と結婚し、ロシアへ移住。その後はよく知られていない。
 
 
 
フェルディナント・ゲオルグ・ヴァルトミュラー(1793〜1865)
《窓辺の若い農婦とその子供》
1840年
 
  窓辺から顔をのぞかせる若い母親と三人の可愛い子供たちの満ち足りた表情。父親が外から写真撮影したという感じ。窓の木の枠のだまし絵的な描写にも注目。

  画家はウィーン生まれ。オーストリアのビーダーマイヤー時代の画家(身の回りの小世界を描くロココ趣味的なウィーンの画家)たちの一人。
 
 
 
ガブリエル・フォン・マックス(1840〜1915)
《法悦のカタリーナ・エメリッヒ》
1885年
 
  カタリーナ・エメリッヒ(1774〜1824)は、北ドイツのヴェストファーレン地方生まれの聖アウグスチノ修道会の修道女で、神秘家。28歳のとき修道院に入り、法悦・恍悦状態になる、胸に十字架の印が現れる、両手足・頭部に聖痕が現れる、などの「奇跡」が評判になる。2004年、教皇ヨハネ・パウロ2世により列福。
 
  病弱であったカタリーナ・エメリッヒ。本作のモデルは、画家の知り合いの病気の女性がつとめている。

  画家はプラハ生まれで、主にミュンヘンで活躍。原田直次郎(1863〜99)は、ミュンヘン留学時代(1884〜87)にこの画家に師事している。先に当地に渡っていた兄の友人であったとの縁。
  先史時代の人骨化石などの人類学標本の大規模なコレクターでもあり、自宅でサルの家族を飼育し、多くのサルの絵を残したことでも知られるらしい。画家による《猿のいる自画像》が2016年の原田直次郎展に出品されている。
   


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