東京でカラヴァッジョ 日記

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「福沢一郎展ーこのどうしようもない世界を笑いとばせ 」(東京国立近代美術館)

2019年03月26日 | 展覧会(日本美術)
福沢一郎展
このどうしようもない世界を笑いとばせ 
2019年3月12日~5月26日
東京国立近代美術館
 
   サブタイトルの「このどうしようもない世界を笑い飛ばせ」。シュルレアリスムの日本への紹介者として知られる福沢。先駆者エルンストが追求する「非合理の美」とは異なり、福沢はユーモアをこめつつ諷刺的な意味合いを持たせた作品を制作する。その後も生涯を通じて社会批評を作品化する。
 
   1898年生まれ。本展はパリ留学時代の作品から始まる。福沢は国内にいるときは彫刻に取り組んでいて朝倉文夫に学んでいたが、1924年にパリ留学してから絵画に転向したという。最も古い出品作は1927年。
   
   第1章「人間嫌い:パリ留学時代」。
   《人間嫌い》は、郊外に向かう汽車にポツンと一人乗っている男を見かけたことが制作のきっかけ。汽車に乗って一人逃げ出していく感じの作品。題名はブリューゲル作品から取っている。ナポリのカポディモンテ美術館が所蔵する、「この世が不実ゆえ我は喪に服す」黒い修道服の男、背後の若い男が財布を盗もうとしているのに気付かない、という作品である。趣きは全く異なる。
   《タイヤのある風景》は、確かに少しキリコっぽい。どこがキリコっぽいかというと「近景・遠景の極端な対比」にあるらしい。 
 
    第2章は「シュルレアリスムと諷刺」。引き続きパリ留学中。19世紀末頃のフランスの書籍や雑誌の挿絵を元ネタとして、関係ない物を一つの画面に並べた油彩画が並ぶ。《Poison d'Avril(四月馬鹿)》や《寡婦と誘惑》の2作品については元ネタの挿絵も展示されている。なんか面白そうだけど意味はそれほど無さそうな気もするよく分からない作品群。作品解説キャプションが少ない本展、《嘘発見器》には作品解説があって、それによると、画面左側の二重の人体は、彫刻の複製の作り方を説明する図から取ってきて、画面右側の機器は、遠く離れた虫の声を聞き取ることができる機械を説明する図から取ってきて、図ではその機械に「虫」が乗せてあったところを「心臓」に替えて、嘘発見器。なるほど、元ネタがマニアックすぎるな。《煽動者》は煽動者のデカイ頭が2つ、口から煽動ビームを出す諷刺っぽい1931年の作。  
 
   第3章「帰国後の活動」。1931年にパリから帰国する。《美しき幻想は至る処にあり》の「美しき幻想」はソ連のマークで、至る処にあったらしい。《教授たち会議で他のことを考えている》、いくらなんでもこのシチュエーションで女性の裸のことを、そんな時事ネタでもあったのか。
 
   第4章「行動主義(行動的ヒューマニズム)」。1930年代半ば、プロレタリア芸術運動が政府の弾圧により壊滅するなか、文学において小松清が提唱する行動主義に共鳴した作品を制作し、前衛芸術のリーダー的存在となる。
   《二重像》は、マザッチョ《共有財産の分配とアナニヤの死》で倒れたアナニアを周りで見ている女性を描いたという習作っぽい作品。ペテロのこの話を諷刺的に扱おうと考えていたのだろうか。
( ↑ 参考:本展非出品)
 
   《牛》。1936年制作。福沢と言えばこの作品の画家というイメージ。堂々とした牛2頭。よく見るとあちこち穴があり「安普請の看板」風。これは満州国を表現したらしい。日本から見たイメージと現地の現実とのギャップ。
 
   《女》は、マザッチョ《楽園追放》のイヴ。満州国のイヴ。日本から見たイメージと現地の現実とのギャップ。
 
 
   第5章「戦時下の前衛」。福沢は、シュルレアリスムと共産主義との関係を疑われ、1941年に検挙される。釈放後は戦争協力を求められる。作戦記録画《船舶兵基地出発》は1945年制作。陸軍船舶兵士の奉公精神を描く情報局国民映画「海の虎」の宣伝用スティル写真を元ネタとしたらしい。そこに諷刺的要素を求めるか、諷刺的では無いことを除くと今までと同じ制作スタイルということでよいか。
 
   第6章「世相をうつす神話(1)」。戦争が終わり、混乱する世相。ダンテ「神曲・地獄編」をテーマとして、登場人物を全員裸にして、そんな世相を表現した作品群。《世相群像》や代表作《敗戦群像》など。
 
   第7章「文明批評としてのプリミティヴィスム」。福沢は1952年に渡欧し、その後ブラジルやメキシコを経由して54年に帰国する。中南米が画風を変える。原色で描かれる中南米の人々、ステンドグラスのような作品群。唯一撮影可能な《埋葬》(当然、東近美所蔵)、この作品を90度横倒したものを原画として制作したステンドグラス作品《天地創造》がJR東京駅にあるらしい。

 
   第8章「アメリカにて」。福沢は1965年にアメリカを旅する。黒人の公民権運動に影響を受け、また画風を変えて制作する。アクリル絵具使用の5作品、抽象的な顔をたくさん描く油彩《霊歌》。
 
  第9章「世相をうつす神話(2)  」。1970年代、ダンテ「神曲・地獄編」再び、そして「往生要集」を元ネタとする地獄図。《トイレットペーパー地獄》は、オイルショック時のトイレットペーパー買い占め騒動。なぜトイレットペーパーだったのか。当時の新生活スタイルである団地に取り入れられた水洗トイレ、トイレットペーパー以外を使うと詰まってしまうという恐怖が背景にあったらしい。物がなかった訳ではなく、金さえ出せば物はあり、リーズナブルな値段で買えるかが問題であったと聞くけど。店の棚から急に物がなくなるのは、東日本大震災直後に味わったけど、確かに恐怖である。
 
 
   最終の第10章「21世紀への警鐘」。暗示的な神話もの作品。1986年制作の《悪のボルテージが上昇するか21世紀》。マンハッタンらしき街並みと枯木のある荒野を背景にドル紙幣を踏みつけながら争う人々。1992年没。それから約30年、悪のボルテージは上昇したのか。
 
 
   福沢の社会批評作品を相応に楽しむ。第7章以降は、大家となったのだろう、自分の好きなように制作している印象。個人的には第4章と第6章。


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