東京でカラヴァッジョ 日記

美術館訪問や書籍など

過去に来日した「受胎告知」の名画たち、そして新たにカルロ・クリヴェッリ《聖エミディウスを伴う受胎告知》

2020年06月30日 | ロンドンナショナルギャラリー展
   過去に来日した「受胎告知」の名画たち。
   ここ15年くらいでの、私が実見した記録・記憶のある展覧会より、5人の画家の《受胎告知》選。
 
 
レオナルド・ダ・ヴィンチ
《受胎告知》
1472-75年、98×217cm
ウフィツィ美術館
 
    レオナルドの実質的な単独レビュー作。
    2007年の東京国立博物館「レオナルド・ダ・ヴィンチ-天才の実像」への出品は、大事件であった。
    そもそも貸出自体が、1935年パリ、1939年ミラノ以来、68年ぶり3度目。
    来場者数796千人は、21世紀の西洋美術展覧会では第3位。
    第一会場の本館特別5室には、《受胎告知》1点のみが展示。入室後、まず離れた高い位置から全体像を眺め、列に並んで立ち止まり不可で間近鑑賞するスタイルであった。
 
 
 
ボッティチェリ   
《受胎告知》
1481年、243×555cm
ウフィツィ美術館
 
    2001年の国立西洋美術館「イタリア・ルネサンス   宮廷と都市の文化」展、および、2015年のBunkamura「ボッティチェリとルネサンス-フィレンツェの富と美」展と、2回も来日した超大型フレスコ画。
 
   本作は、フィレンツェのサンタ・マリア・デッラ・スカラ施療院付属聖堂の開廊に描かれた。
 
   2015年の図録解説によると、同施療院は、1478-79年のペスト流行時に避病院としても使用されており(確かにランドゥッチの日記には、スカラ病院に疫病患者が運び込まれている旨の記述が多出する)、そのことから本作品は、ペストが収束したことへの感謝の奉納画として制作されたという仮説が提唱されているという。
   疫病対策としての宗教画は、聖セバスティアヌスや聖ロッコなどの専門家聖人だけではなく、万能の聖母マリアも活躍していたようだ。
 
 
 
ティツィアーノ
《受胎告知》
1563-65年頃、410×240cm
サン・サルヴァドール聖堂、ヴェネツィア
 
    2016年の国立新美術館「アカデミア美術館所蔵 ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」展で来日。
    これも超大型作品。前述のボッティチェリ作品は横に超大型であったが、そのティツィアーノ作品は縦に超大型。そのため、国立新美術館が誇る天井高が最大限機能発揮されたことでも印象的であった。
 
 
 
エル・グレコ
《受胎告知》
1576年頃、117×98cm
ティッセン=ボルミネッサ美術館
 
《受胎告知》
1600年頃、114×67cm
ティッセン=ボルミネッサ美術館
 
   このエル・グレコの2作品は、2013年の東京都美術館「エルグレコ展」に出品された。
 
   前者は、画家が故郷ギリシャを後にして、イタリアに滞在・活動していた初期の時代、1576年にイタリアからスペインへ移住する直前に制作されたものと考えられている。
 
   後者は、現在プラド美術館が所蔵する大型祭壇画(1596-99年制作のマドリードのドニャ・マリア・デ・アラゴン学院付属聖堂主祭壇画で、画家の最高傑作の一つとされる)の画家本人による縮小レプリカと考えられている。
 
 
 
ロセッティ
《見よ、我は主のはしためなり(受胎告知)》
1849-50年、72.4×41.9cm
テート
 
   先の作品たちから大きく時代が離れたところから、英国19世紀、ラファエル前派の画家の1点。
   2014年の森アーツセンターギャラリー「ラファエル前派展-英国ヴィクトリア朝絵画の夢」に出品されたロセッティ作品。
    私的には、昔画集でその存在を知って気になっていたところ実見できて嬉しかった思い出のある作品。

 
 
   そして、2020年。
   これら《受胎告知》来日名画の系譜に新たな作品が加わった。
 
 
カルロ・クリヴェッリ
《聖エミディウスを伴う受胎告知》
1486年、207×146.7cm
ロンドン・ナショナル・ギャラリー
 
   1482年3月25日。マルケ地方の町、アスコリ・ピチェーノ。
 
   毎年定例行事として、乙女マリアにお告げを伝える大天使ガブリエル。
   そして、その年は特別な喜びも。教皇領であったアスコリ・ピチェーノに一定の自治権が認められたのである。そのことを乙女マリアに報告するために、町の模型を持って、大天使ガブリエルの横に控える、町の守護聖人である聖エミディウス。
 
   本作は、アスコリ・ピチェーノの厳律フランチェスコ会女子修道院のために制作された。1864年、ナショナルギャラリー入り。
   聖エミディウスは、2世紀後半に町で布教活動を行い殉教したことから、町の守護聖人となっている。
 
   遠近法、緻密で絢爛な描写。細部の楽しみの多い作品。10月までの会期、何度でも観に行きたい。
 
 
ロンドン・ナショナル・ギャラリー展
変更前:2020年3月3日〜6月14日
変更後:2020年6月18日〜10月18日
国立西洋美術館


6 コメント

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ボッティチェリの受胎告知 (むろさん)
2020-07-01 23:07:28
ボッティチェリ作サン・マルティーノ・デラ・スカーラの受胎告知フレスコ画ですが、2015年money and beauty の図録より少し詳しい解説がライトボーンのBOTTICELLI(2巻本1978年、改訂大型本1989年、邦訳森田1996年西村書店)に載っています。1479年には2万人の犠牲者が病院の墓地に葬られたそうです。また、2001年の初来日の時の図録には、その絵が描かれていた回廊の位置や2つの門のどちらの方の地上から何mにあったかなどの情報が出ています。(場所は駅の西側のvia d. Scalaとvia d. Orti Orcellariの交差する場所の南東角で、現在建物は刑事法研究所になっているそうです)。

いつになるかまだ分かりませんが、コロナ騒動が収束して何年か経過したら、イタリアでまだ行ったことがないボローニャやトリノなどに行くつもりで、その時にはフィレンツェでボッティチェリや周辺画家の足跡をたどってみようと思っています。オニサンティ近くのボッティチェリの家の位置もほぼ特定しました(NHKフィレンツェ・ルネサンス4森田解説1991年)。また、以前貴ブログのボッティチェリ作神秘の磔刑についてのコメントで、画面に描かれたフィレンツェの風景が、ボッティチェリの別荘があったベッロズグアルドの丘から見た景色と書きましたが、現在この別荘の位置についても詳しい地点を調べているところです。(Hotel Torre di Bellosguardoより少し下の方にあるS. Vitoという教会の近くらしい)。サン・マルティーノ・デラ・スカーラのことを調べているのもこの一環です。上記ライトボーンの本と2001年の図録を読むと、このフレスコ画の構図や遠近法のずれについては、描かれた位置で考えてみるとその意図がよく理解できるとのことなので、是非ともその場所に行って確認してみたいと思っています。現在の建物の使用状況から考えて、フレスコ画をはがした壁を見ることができるかは行ってみないと分かりませんが、昔サンタ・マリア・ヌオヴァ病院へ行って「カスターニョの磔刑の絵が見たい」と言ったら院長室のような部屋に案内されて、そこで大きな絵を見せてもらったことがありますので、スカーラ病院跡もダメモトでいいから行ってみようと思っています。(サンタ・マリア・ヌオヴァ病院は救急車が停まっていたりして、13世紀頃から今でも現役で使われている病院です。病院の各所にはフレスコ画が残っていましたが、壁からはがされたカスターニョのフレスコ画断片は最も重要な絵なので、飾られていた部屋は多分院長室だろうと思っています。)
なお、周辺画家についてもポライウォーロの家や工房、フィリッピーノ・リッピの墓などの場所を確認しています。

疫病対策としての「万能の聖母マリア」ですが、これについては京大河田女史の論文「ペスト流行期の慈悲 <慈悲の聖母>のイコノロジー」(2011年)が参考になります。しかし、慈悲の聖母のマントの意味や信仰の程度とマント内外の選別の差、16世紀以降ではマリアとマント内に庇護される人物の大きさの比率が不自然なので、聖母被昇天や無原罪の御宿りの図像に押されて慈悲の聖母は流行らなくなったといった説明は理解できましたが、受胎告知の聖母にまで疫病対策の効用を広げていいのかはこの河田論文では分かりません。上記ボッティチェリの受胎告知に関するペスト終結の感謝の奉納画として描かれたという「仮説」が本当に正しいのかは(1479年の終結後の1481年に描かれたという状況証拠だけなので)、図像学的裏付けなどまだ検討の余地があると思います。

https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/154646/1/hes_20_27.pdf

また、慈悲の聖母でまず最初に頭に浮かぶのは、フィレンツェ、オニサンティにあるギルランダイオ作のヴェスプッチ家を庇護する慈悲の聖母(1472年頃)です。(この絵も2001年のボッティチェリ受胎告知フレスコ画初来日の時に一緒に来ています。)図録解説を読むとペスト除けのことには触れていなくて、災難全般に対するものであり、アメリゴ・ヴェスプッチがマント内に描かれていることからも、同家の商業・海運など海に関する災難から守る意味で注文されたとされています。この時期以降、ボッティチェリ(1473~4年)、ポライウォーロ(1475年)が相次いで聖セバスティアヌスを描いているので、1478~9年のペスト流行までの間にも何度も流行はあった(フィレンツェではないが、ペルージア近郊のデルータやチェルクェートでペルジーノが1476~8年に聖セバスティアヌスや聖ロクスを描いているのもその一例)と思われるので、ギルランダイオの慈悲の聖母にもペスト除けの意味はあっただろうと思います。

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Unknown ()
2020-07-02 21:16:23
むろさん様
コメントありがとうございます。

イタリア旅行、早く実行できるような環境になってほしいものですね。
私も、いつの日か、フィレンツェやシエナなどの周辺の街の基本的なところの美術館や教会を再訪問できればなあと思っています。

ボッティチェリのフレスコ画《受胎告知》について、受胎告知の聖母にまで疫病対策の効用を広げていいのか、確かに疑問ですね。「ペストだけが大惨事ではなく、他のカタストロフの中の一つに過ぎない」。まだ、岡田氏の書籍には近づけていません。
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Unknown (かこ)
2020-07-25 05:09:59
こんにちは、いつも楽しく見てます。まとめてみると受胎告知もたくさん来日してますね。
クリヴェッリについては先日大きな写真付きで新聞に出ていましたよ。
ウェブ版 https://www.yomiuri.co.jp/culture/20200721-OYT8T50080/
クリヴェッリの受胎告知もメジャーになりましたね。
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かこさま ()
2020-07-25 08:00:02
かこさま

コメントありがとうございます。
また、上原真依氏の読売新聞への寄稿を紹介してくださり、誠にありがとうございます。
1482年3月25日は、自治承認の日ではないこと、本作が完成した1486年の3月25日は、その年の初めにペストが感染のピークを迎えていたため、大規模イベントは中止になったことを初めて知りました。
この世紀のイタリアは、ペストとともにあったのですね。
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上原真依氏のクリヴェッリ受胎告知論文 (むろさん)
2020-07-26 15:14:18
以前に紹介したことがあるかと思いますが、上原真依氏の「カルロ・クリヴェッリ作《受胎告知》"LIBERTAS ECCLESIASTICA"祝祭行列との関連から」(愛媛大学教育学部紀要 第60巻2013年10月)を再度取り上げておきます。
http://www.ed.ehime-u.ac.jp/~kiyou/2013/pdf/30.pdf

この受胎告知に関して、4月に上野西美で予定されていた上原真依氏の講演会が中止になったのは今思い出しても残念なことです。

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Unknown ()
2020-07-26 22:23:00
むろさん様
コメントありがとうございます。
上原氏の論文を読みました。自治承認までの経緯がよく分かりました。また、クリヴェッリ作品以外にも、自治承認を記念した作品が制作され現存していることを知りました。この論文でも複数回ペストという言葉があり、この世紀のイタリアは、ペストとともにあったのですね。
ご紹介ありがとうございました。
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