東京でカラヴァッジョ 日記

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画家・新海覚雄の軌跡 (府中市美術館)

2016年09月03日 | 展覧会(日本美術)

常設展特集
燃える東京・多摩
画家・新海覚雄の軌跡
2016年7月16日〜9月11日
府中市美術館・常設展示室 

 

この作品は、出品されていません。

《貯蓄報国》
1943年、112.4×163cm
板橋区立美術館

   実見したいと思っているが、まだ実現していない作品。
   本展には板橋区立美所蔵・寄託の新海作品が4点出品されているが、本作は、現在広島市現代美術館で開催中の「1945年±5年   戦争と復興:激動の時代に美術家は何を描いたのか」展に出張中のため、解説パネルでの紹介となっている。残念。


   背後の壁に貼られたポスターには、戦闘機2機と「270億」の数字。「270億」とは、国民貯蓄奨励運動における昭和18年の貯蓄目標額である。昭和13年に目標額80億で始まった同運動は、年々目標額が引き上げられ、6年目で3.5倍近くになったこととなる。
   巨額の戦費を賄うため、「政府は郵便局での国債貯金をほぼ強制的に国民に割り当てていた」。国債貯金とは、昭和18年に創設された、預貯金の払い戻しが現金ではなく国債で行われる(金融機関は、貯蓄と同額の国債を保有する)という制度であったらしい。

 


本展で一番印象に残った作品。


《独立はしたが》
1952年、145.4×97cm
福富太郎コレクション資料室

 

   「銀座で女性と遊ぶ米軍人を新橋から遠巻きに眺める戦争孤児を主役にし、主権は回復したものの半占領状態が続く貧しい日本の現状を告発した」という作品。

   敗戦から7年、このような風景は、まだまだよく見かけられたのだろうか。

 

 

   全出品作品70点の図版が載っているうえに、年譜や各章の解説も記載された6頁からなるリーフレットが無料配布されている。
   常設展扱いなので、入場料は200円。

 

 

本展について(美術館サイト)

 東京・多摩地域で社会運動と結びついて熱く展開された美術の歴史を発掘する企画として、新海覚雄(1904-68)の画業を紹介します。
 彫刻家・新海竹太郎の長男として東京・本郷に生まれ、川端画学校で油彩画を学んだ新海覚雄は、太平洋画会、二科会、一水会などで活躍、同時代の風俗や労働者の姿を描き、社会への眼差しを育みました。終戦を迎え美術界の民主化を掲げる日本美術会に参加、戦争に抵抗したドイツの美術家ケーテ・コルヴィッツに影響を受け、ヒューマニズムの立場で現実に生きる人々を描き、戦後のリアリズム美術運動を主導しました。
 1950年代、社会問題に取材し、人々のたたかいを伝えた新海らの表現を、ルポルタージュ絵画と呼びます。1955年、砂川町(現在の立川市北部)で起きた米軍基地拡張に反対する住民運動を記録した仕事は、ダイナミックな群像表現の起点となりました。盛り上がる世論を背景に基地返還へ至った砂川闘争は、農民、労働者、学生とともに、多くの美術家も支援に参加した文化運動でもあったのです。
 新海は、日本労働組合総評議会(総評)傘下の国鉄労働組合など、全国的に高揚する労働運動を、絵筆をとって励まし、当時の国民文化運動を代表する画家となります。1950年代後半からは、宣伝ポスターと並行して、原水爆を告発するリトグラフにも取り組み、モンタージュ技法をとり入れるなどモダニズムの受容に努めました。日本では数少ない群像の大作に挑戦しましたが、志も道半ばで倒れ、府中の多磨霊園に永眠しました。
 戦後社会派を代表する画家として、東京・多摩の平和・労働運動に足跡を残した新海覚雄の知られざる軌跡を、油彩・水彩・素描・版画・ポスターなど約70点でたどります。



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