【追記:3/2発表】神奈川県立近代美術館鎌倉別館は、3/4から3/15まで臨時休館する。
生誕120年・没後100年
関根正二展
2020年2月1日〜3月22日
神奈川県立近代美術館・鎌倉別館
2月18日から後期入りした関根正二展、前期に続いて訪問する。
後期は前期と何が違うか。
なにより、大原美術館所蔵《信仰の悲しみ》が登場する。同作は、重要文化財に指定されているため展示日数に上限が課されているらしく、後期のみの展示。その他は、素描の入替えと、関連作家の作品の一部入替え。
入室、即《信仰の悲しみ》に直行。というか、一つしかない横長の展示室、その長辺の真ん中あたりにある入口から入室し、左から見ていくのが順路だが、入口のすぐ右に位置する展示室内唯一の壁面ガラスケース内には、いきなり《信仰の悲しみ》が鎮座している。あれ、前期にここにいた大阪中之島美術館所蔵の二曲一隻屏風《天平美人》は前期で退場だったのかと思ったら、左手の奥の方に独立のガラスケースが新たに設置され、そこにいた。この方が360度鑑賞できて、かつ制作年代順の展示方式にも合致して、良い。
《信仰の悲しみ》
1918年、大原美術館
まず思ったのが、大きい絵だなあということ。勿論、関根の他の作品と比べると、という前提付き。本展の前期で油彩画を見て、アーティゾン美術館で《子供》を見て、今回《信仰の悲しみ》を見て、と進んできたので、本作のサイズが特に印象付けられる。
当時の関根は、蓄膿症の手術後の経過が悪く、失恋も重なり、極度の精神衰弱状態であったらしい。ある日、東京の日比谷公園で休んでいると、公園の公衆トイレから、女性たちの列が金色に輝きながら出現するのを見る。「朝夕孤独の淋しさに何物かに祈る心地になる時、ああした女が三人又五人、私の目の前に現れるのです」 。幻視なのか。描かれたような若い女性たちではないかもしれないが、公衆トイレから出てくる人の群れを見かけること自体は確かにありそうである。本作の題名は当初《楽しい国土》とされたが、友人の伊東深水からの意見を踏まえ改題したという。
《少年》
1917年、個人蔵
今回、前期鑑賞時にも増してえらく惹かれたのが本作。真横から描かれる、手に持つチューリップを凝視する紅い頬の少年。顔だけが描き込みがなされ、他の描写は「下絵上の線描と明暗表現にとどまる」。「頰と唇と花弁から、さらに蠟光をかかげて照らされたかのように指先へ連なる朱色」。これは凄い作品、さすが本展のメインビジュアル。エル・グレコやラ・トゥールを思い起こす。
エル・グレコ《燃え木で蠟燭を灯す少年》1571-72年頃、コロメール・コレクション
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール《ランプの火を吹く少年》ディジョン美術館
《井上静子像》
1917年、個人蔵
素描で気になったのが本作。「大暴風の後、千田町なる井上興夫氏の娘静子さには病気により泣くなる吉松病院にて寫す」と書き込まれる。井上家は深川区千田町で酪農業を営み、関根はその牛小屋を描いた油彩を残している。1917年9月30日の水害で牧場が被災。11月3日、三女・静子が1歳9ヶ月で亡くなる。その後井上家は東京西郊へ転居したという。
「大正6年の高潮被害」
台風と集中豪雨。東京湾接近時には満潮の時刻と重なり、東京府では京橋区、深川区、本所区などの東京湾沿岸域や隅田川沿いの区部で著しい被害を蒙った。前後2回にわたって高潮が押し寄せ、月島、築地、洲崎方面の増水は激しく多くの人が溺死し、東京府の死者・行方不明者数は日本全体の半数近くの563人に上ったという。(Wikipedia参照)