16世紀エミリア派(アレッサンドロ・ベドリ?)
《ヴィーナスとキューピッド》
104×62cm、旧松方コレクション
国立西洋美術館
嘉門安雄氏の著書『ヴィーナスの汗』(1968年、文藝春秋刊)に、本作品の図版が掲載されている。
1947年(昭和22年)7月に東博の職員となった著者。
いきなり、同年10〜11月に開催される「西洋美術名作展」の担当となる。
大盛況となり、天皇皇后両陛下や首相も鑑賞したという、国内所蔵の西洋美術を集めた同展。
作品の出品交渉、会場陳列の準備、会期中の運営、作品の返却などのエピソードが記される。
そのなかで、図版が掲載される本作品。
しかし、本文では一切触れられない。
図版説明に、「16世紀イタリア派の名画 進駐軍美術担当官が米国美術館への買取りを熱望した陳列作品」とあるのみで、「西洋美術名作展」に出品されたか分からない。
本文には書けないエピソードを、暗号のように、わかる人だけがわかるように記しているのだろうか。
松方が購入し日本に持ち込んだ本作品は、川崎造船所の経営危機による私財提供により、十五銀行の担保となり、売り立てにより国内企業の所蔵となったようである。
その後、1960年から国立西洋美術館に寄託され、1963年に購入により国立西洋美術館の所蔵となる。
当初、作者不詳として扱われていた本作品。
1979年刊行の『国立西洋美術館絵画総目録』において、仮説的にパルマ生まれの画家ヤコポ・ベルトイヤ(1544-74頃)の名が示唆される。
国立西洋美術館に残されている資料から、国立西洋美術館の問い合わせにフェデリーコ・ゼーリが1973年に提示したものであった。
しかし、1991年にデ・グラツィアがベルトイヤへの帰属を否定し、ジローラモ・ベドリ・マッツォーラ周辺の可能性を示唆する。
その後、2003年に、当時国立西洋美術館の主任研究官であった越川倫明氏が、アレッサンドロ・ベドリ・マッツォーラへ帰する見解を提示し、現在に至る。
アレッサンドロ・ベドリ・マッツォーラ(1533-1608)は、16世紀後半にパルマで活動した、コレッジョやパルミジャニーノの流れを汲むパルマの後期マニエリスムの画家。
彼の父が可能性が示唆されたジローラモ・べドリ(1500頃-69)。
父ジローラモは、パルミジャニーノ(1503-40)の叔父にあたるピエル・イラリオ・マッツォーラの工房に入り、1529年頃、その娘(パルミジャニーノの従姉妹にあたる)カテリーナ・エレーナと結婚。
マッツォーラ工房はジローラモによって受け継がれ、アレッサンドロはジローラモの死後、その工房を受け継ぐ。
アレッサンドロは、パルマおよび周辺の諸聖堂のために制作を続けたが、「その芸術的力量は凡庸の域を出るものではなかった」らしい。
アレッサンドロの手に帰せられる絵画作品は、見解が分かれる作品を含めて、20点あまりとされているようだ。
確かに、ネット検索してもほとんど情報はない。
2007年の国立西洋美術館「パルマ - イタリア美術、もう一つの都」展。
私的には、バルトロメオ・スケドーニ作の大画面《キリストの墓の前のマリアたち》1613年頃、パルマ国立美術館蔵、のインパクトが凄すぎて、他の作品の印象は全くなくなってしまっている展覧会。
同展に冒頭の本作品が、作者アレッサンドロとして出品されている。
アレッサンドロの手によることがほぼ確実とされるパルマ国立美術館所蔵の《聖家族と幼い洗礼者聖ヨハネ、プットたち》とともに展示されたようだ。
今ならじっくり見比べたいところ。
1960年に展示されて以来、長らく公開されていなかったらしい本作品は、2007年の展覧会の前に、表面のクリーニングを行う。
そして展覧会終了後に、本格的な修復を行う。
『芸術新潮2009年2月号』特集「国立西洋美術館のすべて」に、本作品修復中の様子を撮影した写真が掲載されている。
修復前は過去の修復痕跡(加筆補彩)が幾重にも積み重なり、破れ亀裂、剥落を伴いかなり酷い状態。
特に幾層にも施された過去のワニスは下層の図柄や色調がほとんど把握できないくらい、変色暗化(特に背景下部)していた。
修復作業により、今まで不明であった図像の細部が明確になり、本来の色彩を取り戻したという。
その後は、公開される機会も増えたようだ。
国立西洋美術館の常設展のほか、2015年の東京国立近代美術館「NO MUSEUM, NO LIFE?:これからの美術館事典館」展(どのキーワードのもとに展示されたのか未確認)や、2016年の神戸市立博物館「松方コレクション展-松方幸次郎 夢の軌跡-」(松方コレクションの古典絵画の一つとして展示)に出品されている。
また、国立西洋美術館の常設展では、現在は展示されていないが、前期には展示されていたところ。
国立西洋美術館が所蔵する旧松方コレクションには、古典絵画も相応数含まれるようだ。
ただ、2019年の国立西洋美術館「松方コレクション展」でも、古典絵画の出品は、極めて限定的であった(本作品も非出品)。
修復などの手当が必要となるのかもしれないし、妙な評判を避けたいのかもしれないが、せっかく購入したのだから、常設展の小企画などにより、旧松方コレクションの古典絵画をまとめて展示する機会を設けてほしいもの。
旧松方コレクションであるカルロ・クリヴェッリ《聖アウグスティヌス》は、常設展に展示中。
〈参照〉
・国立西洋美術館ホームページ、作品検索
・国立西洋美術館「パルマ - イタリア美術、もう一つの都」展図録
・越川倫明「旧松方コレクションの作者不詳《ウェヌスとクピド》一アレッサンドロ・マッツォーラ・ベードリへのアトリビューション(日本語要旨)」(国立西洋美術館研究紀要7号、2003年)
・高嶋美穂「アレッサンドロ・ベドリ・マッツォーラ(に帰属)《ヴィーナスとキューピッド》 : 用いられた材料と技法について」(国立西洋美術館研究紀要14号、2010年)
・新潮社ホームページ、芸術新潮2009年2月号紹介ページ