東京でカラヴァッジョ 日記

美術館訪問や書籍など

ブルジョワの初期作品&「蜘蛛」 - 【画像メモ】「ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」(森美術館)

2024年12月26日 | 展覧会(現代美術)
ルイーズ・ブルジョワ展
地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ
2024年9月5日〜2025年1月19日
森美術館
 
 
 ルイーズ・ブルジョワ(1911-2010)の名前を初めて知る。
 六本木ヒルズの2003年の開業時から野外に設置・公開されている、蜘蛛の巨大彫刻の作者。
 その程度の予備知識にて訪問し、訪問後に録画していた日曜美術館で復習する。
 
 
 1911年、パリでタペストリー専門の商業画廊と修復アトリエを経営する両親の次女として生まれる。
 1932年、スペイン風邪がもとで慢性的に病んでいた母が死去。大学で数学を学んでいたブルジョワは、母の死を機に芸術の道を志す。
 1938年、4歳年上のアメリカ人美術史家ゴールドウォーターと結婚し、ニューヨークへ移住する。
 1940年代半ばから作品を発表する。
 
 
 以下、ブルジョワの初期作品。
 
《家出娘》
1938年頃、イーストン財団
 結婚してNYに移住した頃に制作されたブルジョワの27歳頃の自画像「The Runnaway Girl」。
 
 
「ファム・メゾン(女・家)シリーズ」
1946-47年
 
 
 1947年の個展では、別名(「堕ちた女」等?)で発表。
 その後、1960年代後半、フェミニストのアーティストたちが一連の作品を「女性と家の関係を提起するもの」と捉えると、ブルジョワはこのシリーズを「ファム・メゾン(女・家)」と改題したという。
 
 
《荷を担う女》
1949年、イーストン財団
 
 ブルジョワの自画像。
 その腰には、黒1・白2の錘。娘、妻、母の役割を表すのか。ブルジョワの3人の息子を表すのか。黒と白の違いに意図があるのか。
 
 
《C.O.Y.O.T.E.》
1947-49年(1979年に改題、ピンクに塗装)、イーストン財団
 ブリューゲル《The Blind Leading the Blind》の登場人物は6人だが、本作は何人か。10の手と足で5人との想定のもと、1人足してみた。
 
 
 
 1951年に父が死去。ブルジョワは精神分析に専念し、創作活動を休止する。
 
 1960年代、本格的に制作を再開する。
 
第1章 私を見捨てないで
第2章 地獄から帰ってきたところ
第3章 青空の修復
 
 
 横暴な父親との関係がトラウマとなり、精神不安定となり、それとの闘いというか折り合いが創作活動の糧であったようだ。
 造形を楽しむという感じではない作品群。全体としてなかなかしんどい。
 
 
 以下、1960年代以降の作品は、2点(シリーズ)のみ取り上げる。
 
 
「蜘蛛」シリーズ
 タペストリーを修復する母親の姿を、糸で巣を修理する蜘蛛になぞらえたという。
 
《蜘蛛》1997年
 
 
 
《かまえる蜘蛛》2003年
 
 
 
《ママン》2002年(参考)
 六本木ヒルズのほか、世界6ヵ所で展示されているという。
・ホアム美術館(韓国)
・ヒルバオ・グッゲンハイム美術館(スペイン)
・クリスタル・ブリッジーズ・アメリカン・アート美術館(アメリカ)
・カタール国立コンベンション・センター
・カナダ国立美術館
・カオヤイ・アート・フォレスト(タイ、期間限定)
 
 
 
最後に、本展の副題の元作品。
 
《無題(地獄から帰ってきたところ)》1996年
 


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。