新印象派 光と色のドラマ
2015年1月24日~3月29日
東京都美術館
2013年に国立新美術館で開催の「印象派を超えて-点描の画家たち」展と同じようなテイストの展覧会かなと想像していた。
先の展覧会では、シニャック≪ダイニングルーム 作品152≫(老夫婦と家政婦による、時間が静止した、物音もしない、食卓の光景)に強く惹かれたので、その連なりであるらしい≪髪を結う女、作品227≫を観れば充分かと考えていた。
実際は、想像とは全く違った。
新印象派について、その誕生から約20年間の動きを時間軸に沿って丁寧に紹介する、教科書のような展覧会。
これまでは、スーラを除いて関心の薄かった新印象派。
名前だけは認識していたシニャック、先の展覧会で初めて名前を認識したマクシミリアン・リュス、名前すら認識していなかったアンリ=エドモン・クロス、この3人の画家の変遷を追うことができて、それが興味深くて、予定以上に長居した。
<章立て>
プロローグ 1880年代の印象派
第1章 1886年:新印象派の誕生
第2章 科学との出会い-色彩理論と点描技法
第3章 1887-1891年:新印象派の広がり
第4章 1892-1894年:地中海との出会い-新たな展開
第5章 1895-1905年:色彩の開放
エピローグ フォーヴィスムの誕生へ
以下、章に沿って記載する。
プロローグ 1880年代の印象派
モネ3点、ギヨマン1点、ピサロ3点、そしてスーラの初期の小品2点が並ぶ。
第1章 1886年:新印象派の誕生
1886年に開催された最後となる第8回印象派展。
「ベルト・モリゾやピサロは参加したものの、モネ、ルノワールなどの主要な印象派の画家たちは出品せず、かわってスーラの記念碑的大作≪グランド・ジャット島の日曜日の午後≫をはじめとする点描技法による作品が大きな注目を集め」た第8回展。
その第8回展に出品された作品が7点+≪グランド・ジャット島の日曜日の午後≫の習作4点が並ぶ。
ベルト・モリゾ(第4回を除き参加)が1点。
ピサロ(全ての回に参加)が1点(ピサロの第8回展出品作のなかで、その後の加筆がなくそのままの状態で今に残る2点のうちの1点とのこと)。
シニャック(初参加)4点。
そしてスーラ(初参加)1点+≪グランド・ジャット島の日曜日の午後≫の習作4点。
スーラ≪セーヌ川、クールブヴォワにて≫やシニャック≪クリシーのガスタンク≫を長く眺める。
≪グランド・ジャット島の日曜日の午後≫の習作、スーラが「クロクトン」と呼ぶ縦15cm×横25cmの板に描かれた、オルセー美やメトロポリタン美、オルブライト=ノックス美から招集した習作も、見応えがある。
第3章 1887-1891年:新印象派の広がり
章題どおり、概ね1887-1891年の5年間に制作された作品29点が並ぶ。
スーラ1点。≪ポール=アン=ペッサンの外港、満潮≫(オルセー美)は1888年作。
シニャック4点。≪髪を結う女、作品227≫(個人蔵)は1892年作。
ピサロ1点。
この章は「広がり」なので、広がった先の多数の画家の作品が並ぶが、マクシミリアン・リュスに注目する。
過酷な労働の現場や、都市や貧しい地区の光景を多く描いたらしい画家。
本章3点のなかでは、都市系の≪ルーヴルとカルーゼル橋、夜の効果≫(個人蔵、1890年)を楽しむ。
第4章 1892-1894年:地中海との出会い-新たな展開
章題どおり、概ね1892-1894年の3年間に制作された作品16点が並ぶ。
スーラが1891年に31歳の若さで亡くなり、退場している。
シニャックは、活動拠点の中心を南仏に置く。
マクシミリアン・リュスは、南仏を訪問してその光景を描く。
ピサロも1点ある。
スーラと入れ替って、アンリ=エドモン・クロスが登場する。
第5章 1895-1905年:色彩の開放
ここから2階フロアだが、展示レイアウトがいつもの都美と違う。壁紙の群青色もこの感を強くさせているのかもしれない。
章題どおり、概ね1895-1905年の約10年間に制作された作品14点が並ぶ。
シニャックもあるが、アンリ=エドモン・クロス、マクシミリアン・リュスが全開である。
マクシミリアン・リュスは工場を描く。≪工場の煙突≫、≪シャルルロワの高炉≫、≪シャルルロワの工場≫。後者2点はシャルルロワ美術館の所蔵。芸術作品としてのみならず、地域の歴史資料としても重要なのかもしれない。
エピローグ フォーヴィスムの誕生へ
1905年からの数年間に制作された作品が14点並ぶ。
シニャックとアンリ=エドモン・クロスはあるが、マクシミリアン・リュスはない。
マティス、マンガン、ドランのフォーヴィスムが登場する。
結局、シニャックとマクシミリアン・リュスの2人に軸にして観たことになる。
もう一人、第3~5章に登場のテオ・ファン・レイセルベルへをほとんどスルーしたことは、片手落ちだったかもしれない。