岡本神草の時代展
2018年5月30日〜7月8日
千葉市美術館
岡本神草の代表作が、本展のトップバッターとして登場する。
岡本神草
《口紅》
1918年
京都市立芸術大学芸術資料館
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神草は、1894年に神戸市に生まれる。1915年に京都市立美術工芸学校絵画科を卒業し、京都市立絵画専門学校に進学する。
1918年、その卒業制作として制作されたのが、官能的な《口紅》である。が、卒業時点では未完成の状態で、その後完成させて、その年の第1回国画創作協会展(国展)に出品、注目を集める。
このとき、甲斐庄楠音《横櫛》と樗牛賞を競い合う。村上華岳が推す楠音の《横櫛》と、土田麦遷が推す神草の《口紅》。両者譲らず最終的には竹内栖鳳の裁定で、金田和郎の《水蜜桃》が受賞する。
本展覧会には楠音の《横櫛》も出品される。ただし、《口紅》と賞を競い合った国展版《横櫛》ではなく、別バージョンの《横櫛》である。国展版《横櫛》は、後に楠音自身によってかなり改変されており、別バージョンの方が当時の雰囲気を残しているとのことである。
神草の《口紅》。ろうそくの薄明かりで化粧を直す舞妓。熱中し、周りを気にしていない様子。赤い下唇、小さい歯、カラフルな筆、えらく細い腕などが印象的である。いきなり画業最高傑作を誕生させてしまった感。最高傑作を冒頭に展示する本展。
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岡本神草
《拳を打てる三人の舞妓の習作》
1920年
京都国立近代美術館
「拳を打てる三人の舞妓」に神草は3回本画制作に取り組んでいる。
1回目は、1919年、第2回国展に出品すべく制作を進めていたが、母親の突然の訪問により中断、結局断念する。この未完成版(京都国立近代美術館蔵)も本展に出品される。
2回目は、1920年、第3回国展に出品すべく制作を進めるが、またも締切までに作品を完成させることはできず。
「朝断然不可、切断 夜急遽上京」
神草は、ほぼ完成していた画面中央の舞妓の部分だけを切り取って、国展に出品する。
現在の本作は、切断された残りの部分が1987年に遺族の元で発見され、中央部分と合体されている。
3回目は、1921年、今度は無事に完成。国展は一時休止されたためか、第3回帝展に出品し、入選する。
ただ、3度目の正直の完成作は、現在、所在不明であり、図版のみで知られている状況である。
1回目
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2回目(切断された画面中央部分)
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2回目(全体)
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3回目(図版)
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本展は、その展覧会名から、神草作品よりも同時代の画家の作品の割合のほうが高いのではないか、と勝手に想像していたが、決してそんなことはない。
確かに神草の完成作の出品数は少なめかもしれない。
神草は、制作に時間をかける寡作の画家として当時も知られていたほどであり、また、38歳の若さで急逝したこともあり、作品が少ない。大型の本画の完成作で現存するのはわずか3〜4点で、中小型の完成作の数も多くはないという。
そんななか、大型の未完成作や草稿・下絵も多く出品されていて、なかなか見ごたえがある。
例えば、《口紅》や《拳を打てる三人の舞妓》の実物大の草稿は、それ自体が見ごたえがある(《口紅》の草稿と完成作が離れた別の部屋に置かれていたのは少し残念)。また、「花見小路の春宵」は部分草稿、実物大の草稿、未完成作が並べてあって、完成させなかったのは惜しかったなあと思わせる。
同時代の画家、菊池契月、甲斐庄楠音、稲垣仲静、梶原緋佐子、若松緑などの作品、初めて名前を知る画家が多かったが、妖しげ系を中心に楽しく見る。
なお、若松緑は、岡本神草の2番目の妻である。画塾で知り合った二人は1931年に結婚するが、2年後に神草が亡くなり、もともと身体が弱かった緑もその半年後、後を追うように亡くなる。神草の遺作は若松家に引き取られ、その後義妹が全ての資料も引き受けて大切に保管された。それが今回の展覧会に繋がっている。
本展は、京都国立近代美術館、笠岡市立竹喬美術館にて開催されており、千葉市美術館が最後の開催地である。
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