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サグラダ・ファミリア聖堂の財政状況 - 「ガウディとサグラダ・ファミリア展」(東京国立近代美術館)

2023年09月08日 | 展覧会(西洋美術)
ガウディとサグラダ・ファミリア展
2023年6月13日~9月10日
東京国立近代美術館
 
 
 建築の展覧会は、展示物は模型や写真や図面や欠片のようなものが中心になるだろうし、解説は理解できない言葉が頻出だろうし、そもそもガウディに興味を持ったことはないし、と躊躇していた私。
 NHK日曜美術館を見て、行く気になりつつあったところ、8月3日からは日時予約制の導入、8月28日以降は無休で連日20時まで開館と、格段の人気らしいことを知り、再び躊躇。
 結局、会期の最終盤、平日の午前中に予約なし・整理券狙いで訪問する。
 日時指定のない人向けの整理券は、平日だからか、30分後の枠が貰えて、枠内の遅めに行ってスムーズに入場。
 会場内は大混雑。展示物に比べて、展示エリアが狭めな印象。
 
 
 
 展覧会で印象に残ったこと2選。
 
1 ガウディ死す
 
 ガウディの死因を初めて知る。
 
「ガウディの死亡通知書」
 
【会場内解説より】
 1926年6月7日午後6時5分頃、その日の仕事を終え、日課の夜のミサに参列するため聖堂から大聖堂脇の教会に向かう途中、ガウディは大通り横断時に停留場の縁石につまずき路面電車にはねられた。
 身動きせぬ老人がガウディとは誰一人気付かず、3台ものタクシーが病院への搬送を拒否。
 しかし、回復不可能な重体であり、3日後に他界する。
 その間、重篤状態が日々報道され、逝去翌日には各紙こぞってガウディ特集を組んだ。
 2日後の12日、市当局から公葬の申し出があったものの、ガウディの遺言に従い質素な葬儀が執り行われた。
 だが、驚くべき光景が出現した。
 遺体を運ぶ馬車の後に1.5kmもの行列が続き、ガウディを弔うために集まった市民で街路は埋め尽くされたのだ。
 
「ガウディ葬列模様」
 
 
2 サグラダ・ファミリア聖堂の財政状況
 
 私が初めてサグラダ・ファミリア聖堂の存在を知った頃、その時点で完成までには、正確な数字は覚えていないが、数百年というレベルだったような記憶がある。
 それが、今は、ガウディ没後100年にあたる2026年に完成するらしい。3年後!
 1882年の着工から144年での完成となるのか。
 
「完成予定図」
(白:建設完了、茶:これから)(2023.6現在)
 
 何故建設が急速に進むようになったのか。
 
 技術的問題、社会情勢(人手不足、戦争、疫病など)などが考えられるが、このような施設の場合は、財源次第であるようだ。
 
 サグラダ・ファミリア聖堂の財政は、献金によっているが、1990年代に入ってから、観光客の急増により観光収入が拡大、ガウディ時代には想像できないほどの予算の潤沢な時代となった。加えて、コンピュータ技術の発展があって、急速に工事が進捗したようだ。
 
【観光客数の推移】
1961年       10万人
1976年       20万人
1986年      50万人
1987年       60万人
1998年     109万人
2002年     202万人
2008年     273万人
2011年      320万人
2016年      456万人
2019年      470万人
2020年          1万人
2021年        81万人
2022年      160万人
 
 「スペイン最高の集客数を誇る観光地」。
 マドリードのプラド美術館の入場者数が、2019年は350万人だったから、それを大きく上回る。
 観光収入の拡大は、観光客数の増加に加え、入場料の値上げにもよる。2008年の10ユーロから2020年には22ユーロになったとのこと。
 
 
 そうなるまでは、聖堂建築は、赤字財政との闘いであった。
 
 1882年、着工。赤字財政が続く。
 1883年、二代目の建築家としてガウディ就任。
 1887年、「クリプタ」(地下礼拝堂)の工事がほぼ完了。未完の聖堂ではあるが、クリプタでの礼拝が可能で、聖堂として機能していたからこそ、未完であることが許されたともいえる。
 1888〜89年、1年以上の工事中断により赤字財政の健全化を図る。
 1891年、イザベル婦人の巨額献金が届く。これにより、東側ファザード「降誕の正面」に着工するなど、建築が進む。「降誕の正面」の出現は、聖堂を世界的評価に導くこととなる。
 1898年、巨額献金が底をつく。
 1905年、財政危機。従業員数を20人台に削減し、正面建設を中断、工事の進行が見た目に明らかな鐘塔の建築に集中。
 1914年、赤字財政は回復せず、建設中断を決定するが、ガウディの懇願により決定取消。当時の全作業員24名を不可欠とし、自らは聖堂建築に専念することを表明。
 1916年、ガウディを受取人とした小切手2枚による献金が届く。その利子を建築費を回し、元本は備蓄基金として温存する。この基金は、1936年の内戦後の修復と建築の続行を可能とすることとなる。
 1926年、ガウディ逝去。
 1935年、「降誕の正面」完成。
 
 
 1936年、内戦勃発。旧体制側の聖堂として相当の被害を受ける。事務所も焼かれ、模型は破壊され、図面類も消失する。
 1939年、内戦終結後から修復工事に着手。備蓄基金が活躍。
 1944年、クリプタでの礼拝が再開。
 1984年、世界遺産登録。
 1990年代以降、観光収入の増加、コンピューターの導入により、建築が急ピッチで進む。
 2010年、堂内完成式典。
 2026年、中央塔「イエスの塔」完成予定。
 
 
 
 
 
 
 そんなサグラダ・ファミリア聖堂に、コロナ禍が直撃する。
 観光客は激減。建設は中断。
 おかげで、2026年の聖堂完成は先送りの模様。
 
 
 以上、聖堂建築物に直接関係ないことを記載。
 
 
 まあ予習のきっかけにはなったので、いつの日か展覧会図録を持って、バルセロナを訪問できれば最高ですね。
 本展は、このあと、佐川美術館(滋賀)と名古屋市美術館に巡回する。
 
 
ガウディのオリジナル彫刻
「降誕の正面」人物像断片5体
 


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