関東大震災100年企画展
震災からのあゆみ - 未来へつなげる科学技術 -
2023年9月1日~11月26日
国立科学博物館
関東大震災の被害と復興から、過去、現在、未来の地震・防災対策まで、3会場で(ただし、うち1会場は10月11日から)取り扱う本展。
[第1会場]日本館1階 企画展示室
[第2会場]地球館1階 オープンスペース
[特設会場]日本館1階 中央ホール(10月11日~)
以下、第1会場の展示から、関東大震災による被害に関する展示3点を記載する。
【第1会場の構成】
第1章 1923年関東地震とその被害 -関東大震災-
第2章 関東大震災からの復興 -災害に強いまちづくり-
第3章 100年間の地震・防災研究 -災害に負けない国へ-
1 国立科学博物館の関東大震災
国立科学博物館は、1877年(明治10年)を創立年としている。
沿革を見ると、最初の2つは、東京国立博物館と共通のようである。
・1871年(明治4年)10月
文部省博物局の観覧施設として湯島聖堂内に展示場を設置
・1872年(明治5年)3月
文部省博物館の名で初めて博覧会を公開
→これをもって、東博は創立・開館としている。
・1877年(明治10年)1月
上野山内、西四軒寺跡(現東京芸大の位置)に新館が一部竣工、東京博物館を「教育博物館」と改称
→この年をもって、科博は創立年としている。
その後、博物館の名称、所管の行政組織、所在地などが変遷し、1923年時点では、次のとおりとなっている。
名称:東京博物館
所管:文部省
場所:湯島聖堂内
1923年9月1日(土)11:58 地震発生
地震による揺れで建物が壊れることはなかった。
しかし、火災によって、建物も資料も全焼する。
1877年創立時の名称である「教育博物館」の標柱と、外部に貸し出していた資料だけが残される。
創立の際に作られた標柱。
ちなみに、2004年の本館改装前までは本館脇の中庭にあったらしいが、現在は筑波研究施設の敷地内に建てられている。
職員たちは、次の地震に備えるための教育や研究のため、すぐに震災に関する調査や資料を集め、同時に展示資料を収集する。
それらを基に、翌1924年仮設の建物で展示を行う。
1925(大正14)年には、東京帝室博物館(現在の東博)から、動植物と鉱物の標本を中心とする天産部資料が移管される。
長年の懸案課題の実現であり、この結果、東博は、美術博物館としての性格を鮮明にする。
1931年、復興建築として、上野公園に上野新館が竣工する。
現在の日本館の建物で、2008年に重要文化財に指定されている。
2 関東大震災の惨状・被害を描いた油絵
当時の東京博物館(現在の国立科学博物館)が震災後に制作を依頼し、1924年3月に20枚の油画を購入。作者は不明。現在は13枚が残る。
長年収蔵庫に眠っていたもので、関東大震災100年を迎えることを機に修復を開始。修復が完了したのであろう2点が第1会場にて展示されている。
《浅草公園の惨状》
《赤坂区の被害状況》
あと11枚の内容も気になる。
作者もいずれ判明してほしいもの。
3 科学技術で当時の写真をカラー化
AI技術と人の手によって、当時の写真を彩色化。
「モノクロ写真だとどこか他人事だった100年前の出来事が、カラー化によって我が事として感じられるでしょうか。」
科博が収蔵する震災当時の写真のカラー化前とカラー化後の写真が図版パネル展示される。
うち、東京を撮影した5点。
「浅草復興 仲見世通り」
「赤坂の倒壊家屋」
「日比谷の避難民」
「丸善の倒壊」
「凌雲閣(浅草十二階)の半壊」
カラーとは言えど、「総天然色」的な色合いで、どうしても時代を感じさせる。絵っぽくなる。
写真だとそんな感じだが、映像だと、NHKの番組で見たカラー化された映像は、相当の迫力であった。
関東大震災の被害関係の展示をもっぱら記載したが、本展は、科学博物館らしく、第1会場・第2会場を通して、現在そして未来の地震・防災対策に対して力を入れた展示となっている。
10月11日から開始される日本館1階中央ホールでの特設会場での展示も観に行くつもり。