私には聴覚障碍・視覚障碍の生徒さんがいます。
今から書くことはもう20年も前のことですが・・・
由利ちゃんがピアノのレッスンに来たのは小学4年のときでした。
彼女はご両親に連れられてやってきましたが、
ご両親は、私に一生懸命話をしてくれるのですが、何を話されているのか
さっぱりわかりません。
その時、由利ちゃんは、私に話の内容を説明してくれました。
それから、由利ちゃんのレッスンが始まったのです。
お母さんは、いつもレッスンについて来ていましたが、
聴こえるという感じでも無くただ笑顔で娘のピアノに耳を傾けてい
たように私は思いました。
6年生になって、お母さんがついて来なくなり、彼女一人で来るように
なりました。
「何かあったの?お母さんとけんかした?」
「聴こえないのに文句ばかり言うの」
「どんな風に?」
「指の形が悪い、ひじが下がっているとかぁ・・」
「それは、よく観察をしてもらっているのよ、感謝よね~」
「でも、うるさい、わたし、母さん嫌いしー、」
「家にも学校にもイヤ」
由利ちゃんの話し方は少し変わっていました。
本を読むような~そんな話し方でしたが、出来るだけ普通の話し言葉で
接していました。
彼女が中学1年になった時、猫を飼う様になり、体中に猫アレルギーの
赤い湿疹が出来ました。
学校の友人が「エイズエイズ」と言ってからかうので、
彼女は学校に行けなくなりました。
レッスンには来られても学校には行けません。
彼女は猫を捨てることも出来ず、猫アレルギーと言うこともわからず
一人で悩んでいました。
そんな時、彼女はピアノを止めたいと言いました。
「エイズだから教室のみんなに迷惑がかかるから」
と言うのが彼女の理由でした。
学校も行けない、ピアノも来られない・・・何とかしなくちゃ~と思い、
私は自分の大好きなベートーベンの自伝の本を貸してあげました。
彼女は夏休み中かかって貸してあげた本を読破し、
夏休みの宿題として感想文を書いたようでした。
2学期になり、始業式には行ったものの、また不登校が始まりました。
体中の湿疹も治まっていましたが、やはり、一度学校を休むと
よほどの覚悟が無い限りずるずると休んでしまうようです。
それが不登校生徒の大半の行動のようでした。
再びレッスン室に顔を見せてくれるようになり、「学校を見に行こう!」
と言うことになって私の車に乗って学校を一回り。
家に着いたら担任の先生が来ていらして一緒に話をさせていただきました。
彼女の書いた読書感想文が校内で優秀賞をもらったこと、
その中に、私のことが書いてあったこと・・等を担任から伺って
内心、とても嬉しかったです。
しかし、学校には行きたくないと言います。
なぜ?
それは、だんだん自分の耳が聴こえなくなることへの不安だったのです。
ピアノの音も聞き取りにくくなってきたようでした。
2年生になって、彼女は耳の不自由な生徒のためのクラスのある学校に
転校することになりました。
新しい学校にもなれて通っていましたが、毎日ではありません。
何とか中学を卒業をし、就職をすることになりましたが
彼女を雇ってくれるところが見つかりません。
高校には行きたくない・・・・
相変わらずピアノのレッスンには来ていましたが、
今、自分が何をして良いのか分からず戸惑っていて、
とうとう大量に風邪薬を飲んでしまいました。
救急車で病院へ運ばれて、私に会いたがっているとご両親から電話があり、
とんでいきました。
胃洗浄をして大事無くすみましたが、心のケアーが必要と言うことで
入院となりました。
入院中、耳鼻科できちんと聴力検査をしてもらうことや
治るのなら治療をすることを約束しました。
結局、彼女は進行性の難聴と診断されました。
退院後、私の知り合いの工場で働くことになり、うつ症状も影を潜めました。
明るく前向きに働く彼女を見て、ご両親も、私もとても嬉しかったです。
今、彼女は音の世界とは完全に遮断をされましたが、
手話と唇を読むことで会話をします。
そして、12年間、レッスンをしたピアノの音は彼女の心の中に
残っていると言ってくれました。
今も、ピアノを弾き続けています。
彼女には心の耳があるのです。
そして、手話コーラスの一員として頑張っています。
彼女・・・由利ちゃんに拍手をおくります。
今から書くことはもう20年も前のことですが・・・
由利ちゃんがピアノのレッスンに来たのは小学4年のときでした。
彼女はご両親に連れられてやってきましたが、
ご両親は、私に一生懸命話をしてくれるのですが、何を話されているのか
さっぱりわかりません。
その時、由利ちゃんは、私に話の内容を説明してくれました。
それから、由利ちゃんのレッスンが始まったのです。
お母さんは、いつもレッスンについて来ていましたが、
聴こえるという感じでも無くただ笑顔で娘のピアノに耳を傾けてい
たように私は思いました。
6年生になって、お母さんがついて来なくなり、彼女一人で来るように
なりました。
「何かあったの?お母さんとけんかした?」
「聴こえないのに文句ばかり言うの」
「どんな風に?」
「指の形が悪い、ひじが下がっているとかぁ・・」
「それは、よく観察をしてもらっているのよ、感謝よね~」
「でも、うるさい、わたし、母さん嫌いしー、」
「家にも学校にもイヤ」
由利ちゃんの話し方は少し変わっていました。
本を読むような~そんな話し方でしたが、出来るだけ普通の話し言葉で
接していました。
彼女が中学1年になった時、猫を飼う様になり、体中に猫アレルギーの
赤い湿疹が出来ました。
学校の友人が「エイズエイズ」と言ってからかうので、
彼女は学校に行けなくなりました。
レッスンには来られても学校には行けません。
彼女は猫を捨てることも出来ず、猫アレルギーと言うこともわからず
一人で悩んでいました。
そんな時、彼女はピアノを止めたいと言いました。
「エイズだから教室のみんなに迷惑がかかるから」
と言うのが彼女の理由でした。
学校も行けない、ピアノも来られない・・・何とかしなくちゃ~と思い、
私は自分の大好きなベートーベンの自伝の本を貸してあげました。
彼女は夏休み中かかって貸してあげた本を読破し、
夏休みの宿題として感想文を書いたようでした。
2学期になり、始業式には行ったものの、また不登校が始まりました。
体中の湿疹も治まっていましたが、やはり、一度学校を休むと
よほどの覚悟が無い限りずるずると休んでしまうようです。
それが不登校生徒の大半の行動のようでした。
再びレッスン室に顔を見せてくれるようになり、「学校を見に行こう!」
と言うことになって私の車に乗って学校を一回り。
家に着いたら担任の先生が来ていらして一緒に話をさせていただきました。
彼女の書いた読書感想文が校内で優秀賞をもらったこと、
その中に、私のことが書いてあったこと・・等を担任から伺って
内心、とても嬉しかったです。
しかし、学校には行きたくないと言います。
なぜ?
それは、だんだん自分の耳が聴こえなくなることへの不安だったのです。
ピアノの音も聞き取りにくくなってきたようでした。
2年生になって、彼女は耳の不自由な生徒のためのクラスのある学校に
転校することになりました。
新しい学校にもなれて通っていましたが、毎日ではありません。
何とか中学を卒業をし、就職をすることになりましたが
彼女を雇ってくれるところが見つかりません。
高校には行きたくない・・・・
相変わらずピアノのレッスンには来ていましたが、
今、自分が何をして良いのか分からず戸惑っていて、
とうとう大量に風邪薬を飲んでしまいました。
救急車で病院へ運ばれて、私に会いたがっているとご両親から電話があり、
とんでいきました。
胃洗浄をして大事無くすみましたが、心のケアーが必要と言うことで
入院となりました。
入院中、耳鼻科できちんと聴力検査をしてもらうことや
治るのなら治療をすることを約束しました。
結局、彼女は進行性の難聴と診断されました。
退院後、私の知り合いの工場で働くことになり、うつ症状も影を潜めました。
明るく前向きに働く彼女を見て、ご両親も、私もとても嬉しかったです。
今、彼女は音の世界とは完全に遮断をされましたが、
手話と唇を読むことで会話をします。
そして、12年間、レッスンをしたピアノの音は彼女の心の中に
残っていると言ってくれました。
今も、ピアノを弾き続けています。
彼女には心の耳があるのです。
そして、手話コーラスの一員として頑張っています。
彼女・・・由利ちゃんに拍手をおくります。
心の耳ですかぁ。初めて心の耳というものを考えました。
自分の母は自分がピアノ教室に通っていたころ、他の生徒さんの親に交じって毎回見にきてくれていました。あのときの母の様子を思い出すと、心の耳で聞いていたのかもしれません。
由利さんのお母さんと同じように、自分の母も私がピアノを弾いているときの姿勢をよく注意されました。
これは自分の自慢の一つなのですが、親に対して“聴こえないのに”という風に思ったことがありません。自分の頭の中に禁句ワードをして、インプットされているようです。笑
由利さんも立派に成長されたようで、なによりです。こうして難聴の方の活躍を聞かされると、本当に自分の励みになります。
そして、このような経験談を書いてくださったぴあのんさん、本当にありがとうございましたm(_ _)m
音楽以外の場面でも指導されるのは
ぴあのんさんが全力で生徒さんに接しているからなんでしょうね
きっと由利ちゃんのお母さんもぴあのんさんに言い尽くせない感謝をしているのでしょうね
素晴らしい
全力でいつも 周りの人と接する
ぴあのんちゃん!特に子どもたちにとって
本当に大切な大人だと思います。
家の息子にも そんな方がそばにいたら
どんなに 視野が広くなり 彼自身の
心も休まることでしょう。
本当にいつかお会いしたいと思いました。
心の耳・・・たとえ聞こえなくても、指や姿からその人の音が
伝わってくると思うのですが、特に聴覚障碍の方は、
見える分苦しい思いをされている事とおもいます。
だから、きっと一生懸命心で聴いておられたのでは
ないでしょうか。
視覚障碍の方は見えない分、とても耳が研ぎ澄まされています。私は見えなくてもピアノを弾かれる方は、指先に心の目があると感じています。
♪yukiさんへ
音楽教育は音楽共育だと思うぴあのんです。
生徒と共に育つ先生でありたいと願う自分です。
ピアノだけでなく、その生徒が望めば第3の目で見てい
きたいと常々思っています。
私のアンテナを駆使しても一緒に歩んでいきたいと。
♪おぱーるちゃんへ~
私の子供たちもいろんな方から第3の目で育てて貰いました。
人は決して一人では生きられません。
いろんな助けがあって、人生があると思っています。
これからも私を必要としてくれる人があれば、
第3の目になっていきますよ。
この話にはまだまだ書ききらない部分がたくさんあります。
本当はもっともっと書きたかったのですが、文才がないので
うまく書けません。
話ならもうちょっとましなのですが・・・
人にはいろいろな歴史があると思います。
その歴史の中に私みたいなおせっかいが一人くらい
いても良いかな~っと思っています(笑)。
『こころのケアはこころでするもの』
そんな風に読ませていただきました!!
素敵なお話でした。