知り合いの看護師さんから、聞いた話しです。
末期の患者さんが、一生懸命、リハをしたり、毎日の病院生活に
張りを持たせようと努力をしておられたそうですが、
病魔に勝てずに、ついに、起きあがることが出来なくなられたそうです。
周りの家族の方は「頑張れ、頑張れ。良くなって家に帰ろう」
と、声をかけ、患者さんを励ましておられました。
ある日、患者さんの主治医が、ご家族に対してこうおっしゃったそうです。
「Aさんは今まで一生懸命いろんな治療に耐え、頑張って来られました。
今も、死を目前にして、力の限りをつくしておられます。
しかし、その言葉を言われると、身体の痛みに耐えて
弱音を吐くことも出来無いんですよ。
頑張れという言葉は頑張りが足りないという言葉と同じです。
どうぞ、一緒に患者さんの辛さや痛みを受け止めて上げて下さい。」
素晴らしい言葉です。
患者さんは、この医師の言葉を聞かれて、ホッとなさったそうです。
それから、家族の方に、お礼を言われ、静かに旅だって行かれたそうです。
私自身も父の病床で、死に旅立っていく父親に
「お父さんは良くやったよね~、私はお父さんみたいに弱音を一度もはかなかった
姿に感動したよ。ゆっくり、ゆっくり、息をして・・そう、ゆっくりね~」
それから父は「ダニューブ川さざ波」を歌ってくれと言って、私の声に
耳を傾けてくれました。私が父の前で歌った最後の歌です。
翌朝、父は旅だって行きました。
子供は絶対に連れてくるな・・と私に言いました。
父は自分の病床の姿を子供達の脳裏に残したくなかったのでしょう。
今でも、子供達は、かんなやのこぎりを持って仕事をしたり、
自動車を作ってくれた「父ちゃん(祖父の呼び方)」の思い出を大事にしています。
父に対して、私も「頑張れ」と言ったことはありません。
父の姿を見ていると痛々しいほど、伝わって来ていました。
立派な父の最後を看取れて私は幸せでした。
そして、Aさんのように・・ホスピス病棟で緩和ケアーを受けておられる
患者さんは最近多くなってきました。
私も出来うる限り皆さんと一緒に音楽を楽しみたいと思っています。
もし、音楽で心が平穏になるならば、おしみなく、一緒に、時間を過ごしたいと
思います。
末期の患者さんが、一生懸命、リハをしたり、毎日の病院生活に
張りを持たせようと努力をしておられたそうですが、
病魔に勝てずに、ついに、起きあがることが出来なくなられたそうです。
周りの家族の方は「頑張れ、頑張れ。良くなって家に帰ろう」
と、声をかけ、患者さんを励ましておられました。
ある日、患者さんの主治医が、ご家族に対してこうおっしゃったそうです。
「Aさんは今まで一生懸命いろんな治療に耐え、頑張って来られました。
今も、死を目前にして、力の限りをつくしておられます。
しかし、その言葉を言われると、身体の痛みに耐えて
弱音を吐くことも出来無いんですよ。
頑張れという言葉は頑張りが足りないという言葉と同じです。
どうぞ、一緒に患者さんの辛さや痛みを受け止めて上げて下さい。」
素晴らしい言葉です。
患者さんは、この医師の言葉を聞かれて、ホッとなさったそうです。
それから、家族の方に、お礼を言われ、静かに旅だって行かれたそうです。
私自身も父の病床で、死に旅立っていく父親に
「お父さんは良くやったよね~、私はお父さんみたいに弱音を一度もはかなかった
姿に感動したよ。ゆっくり、ゆっくり、息をして・・そう、ゆっくりね~」
それから父は「ダニューブ川さざ波」を歌ってくれと言って、私の声に
耳を傾けてくれました。私が父の前で歌った最後の歌です。
翌朝、父は旅だって行きました。
子供は絶対に連れてくるな・・と私に言いました。
父は自分の病床の姿を子供達の脳裏に残したくなかったのでしょう。
今でも、子供達は、かんなやのこぎりを持って仕事をしたり、
自動車を作ってくれた「父ちゃん(祖父の呼び方)」の思い出を大事にしています。
父に対して、私も「頑張れ」と言ったことはありません。
父の姿を見ていると痛々しいほど、伝わって来ていました。
立派な父の最後を看取れて私は幸せでした。
そして、Aさんのように・・ホスピス病棟で緩和ケアーを受けておられる
患者さんは最近多くなってきました。
私も出来うる限り皆さんと一緒に音楽を楽しみたいと思っています。
もし、音楽で心が平穏になるならば、おしみなく、一緒に、時間を過ごしたいと
思います。
例えば患者が「苦しい」と言ったら、周りの者は「本当に苦しいね」と肯定することがいいとききました。現実に直面したら出来るのかなあ・・・
音楽療法はホスピスでも有効な治療のひとつなんですね。音楽療法が出来る人が大勢いて欲しいです。そして医学的に治療と認められて保険点数がつけば、苦しんでいる多くの人を支えら気がします。
ちょっとピントがずれたかな
しまった!と思ったものです。
悪気は無く 家族も一生懸命なのですが
言葉って難しいですね。
心の病の方へは、励ましは良くないそうです。一生懸命やっているのに、これ以上は出来ないと悩む。そこへ追い打ちをかけるような叱咤激励の言葉に激しく落ち込む・・
繰り返し、波が来るそうですね。
心の病にしても、不治の病にしても、同じだと思います。
私もMT(音楽療法士)がきちんと職員として認められ、診療報酬が受けられると良いなぁと思いますが、まだまだ、国家資格ではありません。ボランティアとしてやっている人が多いです。道は少しずつ開けていますが
遠いですね。
♪おぱーるちゃんへ
家族は決して悪気はありません。本当に「良くなって帰ってきて欲しい」のが心境です。
声をかける難しさと、声をかけるタイミングがありますよねぇ。
病んでいる人には励ましより同情というか同調してあげる方が良いのかな?。
言い方が変かな?
一緒になって泣いたり、うんうんとうなずいてあげる方が気持ちが治まるような気もします。
でもその度合いが難しい・・・あまり同情していると、解りもしないのにって怒らせちゃっうことも。
大きな心で受け入れてあげるって難しいです。
かめきちには至難の業・・・・・
言葉を選ぶ難しさ・・車椅子でスポーツセンターにいらっしゃる方でも、大変そうと思ってお手伝いをすると、気分を害されたことが
ありました。難しい~
私も以前股関節のことで気持ちがいっぱいいっぱいの時は「がんばって」とはいわないで。。。と思いました。
自分で「がんばる」というのは良いけど、「がんばって」は難しい・・・。
息子にはあることがあってから「がんばれ」とか言わないようにしてます。変わりに「頑張ってるねー!」とは言いますが・・・(^^;)。