日本にとってこの日はそれぞれの想いを持った日なのですね。
辛い辛い、長い長い、そんな日が終わった日ですね。
私たちが今あるのは、長く辛い思いをした人たちのお陰です。
・・・・・・・・・・・・・
幼い私は、母の腕の火傷や目の中の火傷がとっても気になり
いろいろ聞きました。
きっと話したくなかったかも~
父も陸軍学校で学び卒業アルバムを見ては、「もう戦争はしては駄目だ!」
「人は人と戦うのではなくて自分と闘う為に有る」とよく言っていました。
難しい話に私はうんうんと聞いていましたが・・・
いま、その意味がよくわかるようになりました。
なんせ自分に甘くプレッシャーに弱い私ですから~
どうしても・・負けてしまいます。
「負けるが勝ち」っという事もあるから・・
最近は「まっ、いいか!」で済ます事も多くなりました。
あれ、終戦の話からそれていきました・・
あまりにも書きたいことが多くて~文になりません。
辛い辛い、長い長い、そんな日が終わった日ですね。
私たちが今あるのは、長く辛い思いをした人たちのお陰です。
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幼い私は、母の腕の火傷や目の中の火傷がとっても気になり
いろいろ聞きました。
きっと話したくなかったかも~
父も陸軍学校で学び卒業アルバムを見ては、「もう戦争はしては駄目だ!」
「人は人と戦うのではなくて自分と闘う為に有る」とよく言っていました。
難しい話に私はうんうんと聞いていましたが・・・
いま、その意味がよくわかるようになりました。
なんせ自分に甘くプレッシャーに弱い私ですから~
どうしても・・負けてしまいます。
「負けるが勝ち」っという事もあるから・・
最近は「まっ、いいか!」で済ます事も多くなりました。
あれ、終戦の話からそれていきました・・
あまりにも書きたいことが多くて~文になりません。
お母様には 傷が・・・・そうなんだ~~
私は 父も母も子供だったので
畑を耕した話や 東京大空襲で焼けてしまった親戚のうちを みて来る様に言われて
汽車や徒歩で見に行った 父の冒険話しか聞いたとこがありません。
ほんと 何も知らないまま ありがたみも忘れて今の生活を送っているのかもしれませんね。ちょっと考えさせられます。
でも、母が軽い子だったと言っていたのを覚えています。
今の私の体格からでは想像もつきません。
私も父になんで戦争にいかへんかったん?
と聞いたら乙種合格か?体が弱くて行かなかったと言っておりました。
ノーモア戦争ですね
だから、今の気強い母がいるんだな~!
父は軍人、だから厳しかったのだ~!
どちらにしても戦禍をくぐって生きてきたんだもの
そりゃ~凄いわよね。
今の生活に、ありがたいと思わなくちゃなっと
思うぴあのんですよ。
う~ん、何ともコメントが出来ません(笑)。
>「何で戦争にいかへんかったんやろう」
子供心に疑問ですよね~
でも、戦争に行かなくって良かったんですよ~
父は京都の軍部で教育隊に勤めていたと
言っていましたっけ。
戦地にはいっていないんです。
だから・・私がいる?