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燧ヶ城(別名は燧城)
福井県南条郡南越前町今庄にある燧ヶ城(別名は燧城)に行ってきました(2023年10月14日)。
10月14日の鉄道の日に合わせて、その前後を含む期間に全国のJR線の普通・快速列車の普通車が乗り放題となる「秋の乗り放題パス」を利用しました。新幹線、特急は利用出来ないので、東海道本線で米原駅まで、そこから北陸本線で今庄駅までローカル線を乗り継いで行くことになります。朝一番に家を出て、今庄駅に着いたのは15:00少し前でした。駅から登城口は近く、歩いて5分ほどになります。登城口から城域まではさらに20分ほど歩きます。
この城は、平家物語や源平盛衰記にも登場する古い城で、私は吉川英治の「新・平家物語」を読んで、この城のことを知りました。平維盛が木曽義仲を討伐するために北陸に大軍を差し向けたため、木曽義仲がここに城を作らせたとのことです。さらに時代が下って一向一揆軍が燧ヶ城に立て籠もって織田信長と戦って、敗れた後には柴田勝家がここを守ったとのことです(日本城郭大系より)。
観音堂、新羅神社から登っていくのが大手道で、一番最初に現れる遺構が大手の石垣になります。これは、三郭の手前の形状的に馬出と思われるところです。馬出から三郭(西側の郭)に進むと三郭の虎口のところにL字形の低い石垣があります。さらに進んで一段高くなったところが主郭で、ここには城址碑と説明板(縄張図)があります。日本城郭大系によると主郭にある石垣は、後年のものと思われるとのこと。主郭からの眺望は素晴らしく、今庄の街並みを見下ろすことが出来ます。私が見た時には、ちょうど福井方面に向かう特急が走っていくところでした。主郭からさらに進むと二郭(東側の郭)になりますが、主郭と二郭の間には明確な土橋が設けられています。この土橋は石積で囲われてました。さらに東の方に進んでいくと、土塁がありここまでが城跡のようです。こちら側が搦手道になります。
観音堂登城口
観音堂登城口にある説明板
観音堂
大手の石垣
三郭の虎口のL字形の石垣
三郭から主郭を見る(奥の一段高くなったところが主郭)
主郭の虎口
主郭に建てられている城址碑と説明板
主郭の城址碑
主郭の説明板
主郭からの眺望(左上が福井方面、右下が敦賀方面)
主郭(これは後世のものとのこと)
主郭(こちらも後世のものとのこと)
主郭と二郭の間の土橋(主郭側から撮影)
主郭と二郭の間の土橋(二郭側から撮影)
主郭と二郭の間の土橋(下から撮影)
主郭と二郭の間の土橋(下から撮影)
二郭
二郭の東側の先にある土塁
新羅神社登城口の城址碑
新羅神社
新羅神社
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