大学教育を国内外で観て来たが、大変お粗末な状況で有るのは以前と変わらない。
我々団塊の世代が、余りにも多くて大学数を増やしたのは、生徒で有った時代の申し子として存在していた。田舎の高校でさえ、教室を増やさないと入れきれない程の子供の数で有った、敗戦で生まれ故郷に帰った20歳代が産めよ増やせよで、子供の多い時代を通過してきた、高校受験も有り、次は大学受験が控えていた。
当時でも中学から就職する生徒は多く、高校卒時点でも大学に行く人数より就職を選択する生徒が多かったのは事実でしょう、田舎と都会では進学率に違いは有った、その後10年位したら進学者が多くなったかもしれない。
当然この間に新規の大学が多く生まれた。卒業生も居ない大学に入学して、その先の展望なんか予測するのが困難な時代が長く続いた。
今思えば進学とは何だったのか思えてならない、高等教育なんて言葉は存在していたがその中身は怪しい、それは今日でも言えるから、相当ひどい時代が続いたことになるのだ、アメリカや英国では大学の所在地が田舎に多い、土地が安い事も関係しているだろうが、広大なキャンパスを持つ大学で歴史が伺えて、勉強しに来ている感じを受けるのが欧米の教育現場で、日本の場合は生活重視が多い気がする、アルバイト先が有るのが条件で有る家庭は多い、先生も都会の方がアルバイトには有利だ、日本は物理的な要件の人が多い事で、団塊世代が大学生活の10年後位したら正常な数になっただろうと今思えばそうだろうと、その後はマスコミと予備校が煽って大学のランク付けをしだした、進学と就職に有利な大学を創り出した。
東京では規制や指導方針で郊外にキャンパスを設置する傾向が続いて、良い傾向と思って居たら、大学間の競争が生まれて、生徒を確保するには都心が有利と言う風潮が生まれる、今は都心回帰現象が生まれてビル街に大学が出来たりしている、勉強の場よりも遊びの場としての大学で良いのかと大いに疑問を持つ。
企業がインターン等で囲い込む傾向に有るから、当然都心部が有利となる、何なんだ日本の大学教育はと考えさせられる、国からの支援は差別すべきと考える、都会は少なくし、地方に多くを与える、アメリカの支援の在り方に詳しいのではないが、明らかに地方大学に力の有る先生が居たり、勉強する環境も良い、日本でも秋田に有る国際教養大学は英語で授業したり、先生が海外から来ている、田舎で有るが就職率は高いと聞く、この例を参考に、地方大学に良い教育校が有る事を長いスパンで育てる必要は有る、がしかし日本の政治が幼稚だから、都会へと向くので有る。
大学教育は国立で無料の国も有る、日本は少子化傾向に有るのに大学数は非常に多い現状が有る、教育よりも金儲け優先の様な大学も有る、企業も悪いが選考の在り方を再考する時期でないだろうか、日本が外国より有利な国になる方法として大学教育を充実させる必要が有る、世界での大学ランキングで日本は東大が1番に来るが、それでも30位代だから知名度は世界ではない、これを上位を目指せとは言えないが、ユニークな学科か研究テーマを追求して欲しい、教育は時間が掛かる、数十年単位は必要だが現状では不合格だ。