ルアンパバーンの大通りを歩く。
フランス統治時代が長かったラオス。
その名残が残るお洒落な建物が並んでいた。
白壁にインディゴブルーの窓が映える。
パリの街並み…は言い過ぎだけど
美しい洋風の街並みが続く。
【ルアンパバーン】
フランス統治時代の名残が残る美しい街並みを持つ。
欧米からの観光客が多い。
1995年世界遺産登録。
ルアンパバーンの大通りを歩く。
フランス統治時代が長かったラオス。
その名残が残るお洒落な建物が並んでいた。
白壁にインディゴブルーの窓が映える。
パリの街並み…は言い過ぎだけど
美しい洋風の街並みが続く。
【ルアンパバーン】
フランス統治時代の名残が残る美しい街並みを持つ。
欧米からの観光客が多い。
1995年世界遺産登録。
ルアンパバーンの中心にある「国立博物館」。
かつての王宮を博物館にしている。
王の謁見の部屋や書斎や寝室が ほぼ当時のままで見学できる。
見学するにはまず 荷物をロッカーにすべて預ける。
特にカメラとバッグは厳しくチェックされた。
ロッカーは鍵がかかるとはいえいささかお粗末なもの。
だから パスポートと財布はズボンのポケットに入れておいた。
展示品の中には
ベトナムからの贈り物とか アメリカからの贈り物等がある。
日本からの贈り物もあった。
【ルアンパバーン国立博物館】
シーサワンウォン通りにあり広大な敷地を持つ。
入場料は30000kip。
ただ 入場券提示が必要なのは
「博物館本館」「王宮ガレージ」「パバーン像安置祠」だけ。
その他の敷地内は無料でカメラOK。
ルアンパバーンの朝食は 2日ともホテルで食べた。
チーズのベーグルとオレンジジュース。
目の前には大通りの朝の景色。
旅先での時間がゆったりしと過ぎていく。
これ ↑ は1日目の朝食。
ラオスはフランス統治が長かった。
だからなのかなぁ。
こんなお洒落なブレックファーストも以外に似合っているのだよ。
【インディゴ・カフェ=インディゴハウスホテル】
朝食を食べたホテルのカフェ。
オープンテラスは大通りに面している。
ルアンパバーンの宿は 「インディゴハウスホテル」。
場所は ルアンパバーンの大通りであるシーサワンウォン通り沿い。
ナイトマーケットの入り口が ホテルの前という好立地。
建物は4階建てで ルアンパバーンで一番背が高い建物。
理由は 世界遺産登録後、3階建て以上の建物が造れなくなったため
登録以前から4階建てだったこのホテルがいつしか一番になったのだ。
部屋はシングルを頼んだのに なぜかダブルだった。(一人旅なのに)
広さは快適なのだが…
シャワーブースはコンクリとタイル貼り。
唯一の窓は外から目張りがしてあり 日中でも暗い。
まぁ 2泊したけど 寝るだけだから…
【インディゴハウスホテル】
住所:Sisavangvong Road, Ban Pakham, Luangprabang
主要な観光スポットまでの所要時間
朝市の開かれる路地→徒歩2分
国立博物館→徒歩2分
メコン川→徒歩5分
ワット・シェントーン→徒歩15分
ナイトマーケット→徒歩20秒
雨季のタート・クワンシーの滝は水が濁っていた。
ガイド本の水はエメラルドのような色をしていたのに…
日本の渓流を知っている私としては ちょっと入りたくない水の色。
水に入ってるのは8割がた欧米人。
これがまた絵になるのだよ。
水の色は気にならない御様子。
しかも飛び込んでいる。
【タート・クワンシーの滝ツアー】
シーサワンウォン通りにある旅行社で申し込んだ。
1人50000kip
午前の部と午後の部がある。
午後の部の出発は1:30。
でも集まりが悪く2:15発だった。
15人乗りのミニバンでルアンパバーンから約45分。
門で20000kipの入場料を払う(運転手が集めてまとめて払った)
現地滞在時間は約2時間。
帰路の途中に少数民族の村で15分休憩(買い物)タイム。
旅先では 朝市があると必ず出かける
朝市は 賑やかで活気がある
道の上に敷かれた ゴザやビニルの上には
野菜や果実 お肉に魚 が並べられている
買いたいものは 山ほどあるけど
旅人は 肉や魚は変えないのだ
果実は時々 買うけれど
たいていは吹っかけられる
まぁ 適度に値切って買うのだけれど…
【ルアンパバーンの朝市情報】
開かれるのは国立博物館の西側の路地
時間は朝7:00~
ホテルの横の路地は 夜になると飲食店の屋台が並ぶ
ただしこの日は雨季のスコール
トタンやビニールでつくられた簡易屋根からは大量の雨漏り
雨垂れが売り物に直接かかることはないにしても 落ち着いて食事ができる雰囲気ではない
おかずを盛った大皿を並べた屋台があった
10000kipで皿をもらい 好きなおかずを取っていく
どれだけ取っても値段は変わらない
ちょっと勇気が要ったけど トライしてみた
恐る恐る取ってきたのが ↑ これ
一口食べたが やっぱり駄目だ。
冷めて硬くなっているから 味なんてさっぱり解らない
ビアラオで強引に 胃の中に流し込んだ
【この路地の情報】
シーサワンウォン通りのインディゴハウスホテル(旧エインシェントルアンパバーン)の横の路地
6時くらいから店が出て朝には何事もなかったように消える
記事のような1皿10000kipの屋台もあれば 串焼きの魚や鶏肉を売ってる店もある
ビールは8000kip~10000kip
トイレは見当たらなかった
同じ柄のTシャツがきれいにたたんで並べられている。
色違いだがサイズごとに重ねてあるのだ。
「How much?」 「30(30,000kipのこと この日のレートで約400円)」
「buy 2. How much?」 「50」
「buy 3. How much?」 「70」
「60 OK?」 「…OK」
Tシャツ3枚 60,000kipで購入した。
私がTシャツを買う場合 サイズは通常 L を買う。
でも マーケットの店の人は私のサイズが「XL」だという。
LサイズのTシャツも買ったけど 着てみたら確かに小さい。
ラオスでTシャツを買うときは
日本のサイズより 一つ大きいサイズのを買うのがよい。
【ナイトマーケットデータ】
シーサワンウォン通りのインディゴハウスホテル前より王宮博物館まで。
夜6時から10時まで毎日開かれる。
Tシャツなどの布製品やポーチ、絵などの雑貨が中心。
深夜の空港は みんなお疲れ。
硬い3連の金属椅子に 横になって休んでいる人もいる。
旅先では疲れなど感じないんだけど…
出国スタンプを押されるとどっと疲れが出る。
今回のルアンパバーン旅行は 行きも帰りもハノイ経由だった。
行きは5時間 帰りは3時間のトランジットタイム。
特に帰りはハノイ発が深夜便だったので 余計に疲れたのかもしれない。
【ノイバイ空港データ】
2階 出国ロビー
免税店・土産店・カフェ・マッサージ
3階 ラウンジ
レストラン・バーガーキング・土産店・マッサージ
水沢観音の周辺の県道沿いには 10軒以上のうどん屋が並んでいる。
うどん好きには なかなか爽快な光景だろう。
その中の1軒 「大澤屋 第一店舗」で味わってきた。
麺はつるつるの平麺で コシがある。
小麦粉と塩と水だけでつくられた 無添加の麺だ。
麺をつゆに潜らせて 一気に口に運ぶ。
弾力感を感じる歯ごたえが何ともよいではないか。
ザルが小さいので もう少し若かったら2,3件はしごしていたナァ。
上質な上州の小麦に きれいな水沢の天然水。
日本三大うどんには「讃岐」「稲庭」とこの「水沢」をいうことが多い。
(長崎の五島・富山の氷見・愛知のきしめんを第3の候補にする説もあり。)
古くから観音参りの客に振舞われてきた逸品なのだ。
伊香保露天風呂は石段街からさらに坂を登った先にある。
風呂の周りを囲む竹の簀子がなんとも風流だが
湯船に被るように生える樹木は野趣満点。
更衣室はなく 着替えは大胆にも湯船の横で行うのだ。
風流 野趣 大胆…まさに露天風呂の醍醐味がぎっしり詰まっている。
湯はやや温めだが その分のんびりと入れるから
本当の露天風呂を じっくり楽しめた。
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伊香保石段街の最下部にあるのが石段の湯。
蕎麦屋のような外観だが
紺の暖簾に大書きされた石段の湯の文字がすぐに目に付く。
浴室は豪華で 湯船は石造り。
湯は伊香保本来の源泉である茶褐色の「黄金の湯」だ。
露天風呂がないのは残念だが
それでも石段街で味わえるから良しとしよう。
伊香保は坂の多い町。
バス通りから伊香保神社までの365段の石の階段は
「石段街」と呼ばれて 伊香保のメイン観光地になっている。
石段の両側には 土産物屋や飲食店が並んでいる。
時代遅れ感もある射的場もあった。
伊香保初日は金曜で 石段街の店はほとんど閉まっていた。
人混みは嫌だが あまりに閑散としているのもねぇ…
でもだからこそ 賑わい以外の伊香保石段街は満喫できたかな。
石段を登るのは辛い。
でも 石段は登らなければ観光できない…というのは間違い。
坂が多い伊香保には タウンバスが各地を回って走っている。
私はバス通りからタウンバスに乗って
坂の最上部の露天風呂まで行き
そこから下って観光した。
これが私の石段攻略法だ。
伊香保温泉街の飲食店の多くは 開店時間が午後8時過ぎ。
これは宿泊客が中心の伊香保ならではの光景。
客は宿で食事をするので 早くに開けてもヒマなのだ。
だから伊香保観光では 食事なしの宿泊は要注意。
私は夜8時ころまで 開いているお店を探して彷徨っていた。
やっとのことで見つけたお店は 『ふきのとう』
庶民的な居酒屋であるが
店名にもなったふきのとう始め 山菜料理がウリの店だ。
メニューの中でも
ふきのとうを練り込んだ自家製の焼売は年中食べられる自慢の一品。
口の中で拡がるふきのとうの風味がまた絶妙。
焼売を一口。
そして 常温の地酒をガブリと飲めば
胃の中でズシリと混ざり合って 身体が伊香保人になる。
草津の源泉は高温のため 入浴するには冷まさなければならない。
そのため温泉に六尺板を入れて湯をかき回す。
これを「湯もみ」という。
湯畑横にある「熱の湯」は湯もみの鑑賞と体験ができる施設。
有名な草津節が流れる中 湯もみを間近で見てきた。
しばらくの間 草津節が耳に残った。
♪ 草津よいとこ一度はおいで (ハドッコイショ)
お湯の中でもコリャ 花が咲くよ (チョイナチョイナ)
何番かある草津節でも1番は誰でも知っている。
でも2番以降ははっきりと記憶のある歌詞がない。
ただ
♪ お医者様でも草津の湯でも (ハドッコイショ)
惚れた病はコリャ なおりゃせぬよ (チョイナチョイナ)
この歌詞だけはなぜかよく覚えている。
【草津山光泉寺】
湯畑を見下ろすように建っている 草津山光泉寺は
奈良時代の僧行基が この地で薬師如来を彫って収めたことが始まり。
当時は「薬師堂」と呼ばれていたが
鎌倉の世になって 源頼朝により正式に「光泉寺」と命名されたと言われている。
行基と頼朝という歴史の2大スターが絡んだ由緒あるお寺だ。
また 釈迦堂の本尊である釈迦如来は
建立当時から 奈良東大寺公慶上人の作ではないかと言われてきたのだが
つい最近の調査で間違いないことが確認された。
作成から約300年経って やっと世に認められた釈迦如来にあやかって
『遅咲如来』として
いままで花を咲かせることができなかった人や
もう一度ひとはな咲かせたい人
などがお参りに来ている。
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【白根神社】
湯畑から湯滝通りを行くと
右手に見上げるような長い石の階段がある。
雪が積もって危険な石段を登っていくと
鳥居の向こうに白根神社の本堂が見えた。
草津温泉の源泉元にもなっている白根山。
日本古来の山岳信仰が盛んで 以前は神社も山頂にあった。
明治以降今の場所に移されたという。
なお 祭神は日本武尊。
神話時代の何ともスケールの大きな話だ。
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【草津穴守稲荷神社】
西の川原公園の入り口に赤い鳥居の石段が見えた。
温泉とお稲荷様はどんな関係?かと思って調べてみたら
東京の染物屋の主人が 草津温泉に湯池で訪れた。
彼は地元東京大田区の穴守稲荷神社を熱心に信仰しており
治癒の記念に草津に穴守神社の分社を寄進した
ということだそうだ。
3月の草津は雪深く 西の川原は白一色だった。
その中で稲荷社の 赤い鳥居が目に焼きついた。