ナッさんとの夕方の散歩の時、隣人から、今日は珍しく一日いたネ!と言われました。その通り、昨日は一日自宅に籠りました。 朝の散歩、洗濯物を干し、掃除機掛け、雨上がりでしたが二階のベランダでの布団干し、その後は日向ぼっこしながらの朝寝、昼寝三昧でした! 珍しく読書!
1945年6月8日(昭和20年6月8日金曜日) この日は私が4歳の誕生日を迎えた日です。 天気は「晴れ、夜になって雨」だったようです。 昨日、読んだ本は、吉沢久子(94歳)さんが書いた27歳戦時下の日記です。現役の料理、家事全般の生活評論家だそうです。 この時、独身の彼女は阿佐ヶ谷住まいのオフイスレディーでした。 我が姉、兄から聞いた戦争中の食料事情と比較して場所によってはこんなに違うのかと思います?併せて闇屋の食料価格が出ていたので紹介します。
白米 一升 20円 ・牛肉 100匁(375g) 18円 ・砂糖 3750g 500円 ・一級酒 一升 120円*この人の月給が120円だったそうです!
吉沢さんのご主人は古谷綱武氏(文芸評論家)で、弟、古谷綱正氏(毎日新聞記者)は後にテレビキャスターをやっておりました。 ちなみに6月8日は、前日空襲なし、夜食は、メリケン粉といりこと小松菜を入れたすいとん、他に日本酒を呑み、スルメをかじりながら麻雀でした!
この頃の私は母親と姉と仙台近くに疎開しておりました。 合せて、3月10日の下町大空襲で焼け出された、姉と二人の兄も一緒だったと思います。戦時中に生まれた私ですが空襲の記憶は殆どありません。 黒いメリケン粉のすいとんは嫌いでした。白米飯など程遠い時代でした。
2012-10-25 すいとんは今でも嫌い! 甲斐駒村上小屋 No.214
二階ベランダから!