2017.7.4(火)
先日の私のブログ、タイトルだけ見て、初日のレポがUPされていると誤解してのぞいてしまった方がいらしたら、本当にごめんなさい。
私の初戦はまだ先です。それまではセットリストも知りたくないので、ここにはろくな情報はないので・・・。
さっき内藤さんの写真がUPされていたのでのぞいてしまって、曲名が1曲だけ目に入ってしまった。ま、大好きな曲だし、30周年なら当然やってくれるかな、と予想できる曲なので、いいかな。
初戦ライブに参加された早乙女さんから、
「観客5人になってもライブを続けていく」に感動したとメールをいただきました。
(5人以下だと、自分たちより少なくなってしまうので、ちょっと・・・らしいです)(笑)
『CYCLE HIT 1991-2017 Spitz Complete Single Collection -30th Anniversary BOX-』、フラゲの日! もう耳にされた方もいらっしゃるのかな?
私はまだだけれど、さっき、ティザー映像②を見つけて、新曲3曲のさわりだけでうれしくなった。
「青い車」が流れて、これがもう25年くらい前の楽曲だということに驚き。はじめて聴いたときの、目の前に広がった光景と、言葉を追って「ん?」となったときの心の動き・・・、すべてがどこかで鮮やかだ。これを今の時代に新曲として受け入れて、きっと心震わせるであろう若いファンがうらやましい。
スピッツ『CYCLE HIT 1991-2017 Spitz Complete Single Collection -30th Anniversary BOX-』ティザー映像・2
■スピッツ関連記事いろいろ
30周年だからか、いつものリリース時以上に、なんだか盛り上がりがすごくて、まだちょっとついていけません・・・。
こんなイベントも・・・
http://www.oricon.co.jp/news/2093542/full/
「白線流し」、懐かしいですね~。20年前?
http://www.oricon.co.jp/article/240478/
つば九郎くんの「チェリー」のダンス、見たことあります。「つぶれるほど 抱きしめて♪」のところで、腕を胸の前でギュっと交差させて・・・がなんともかわいいのです。
ほかにも、いろいろUPされている。
http://top.tsite.jp/entertainment/j-pop/i/36233385/?sc_cid=tcore_a99_n_adot_share_tw_36233385
10曲を選ぶのは、いつだって難しい・・・。
https://rockinon.com/news/detail/163258?rtw
アルバムのレビューも、『スピッツ』から。
https://entertainmentstation.jp/90835
■「ヘビーメロウ」のレビュー
http://www.musipl.com/review/rv-01199.html
レビュアーは松浦 達さん。「音楽メディアCOOKIE SCENEをベースに多角的に文化を考える執筆家、途上開発経済研究者」とある。
ブロクの2016年12月16日の黒沢健一氏への文章や、2016年8月27日のスピッツ『醒めない』のレビューなど、音楽評論家とも音楽ライターとは異なる視線が新鮮。
http://d.hatena.ne.jp/satoru79/
車いすで出かけるということ、母の外出を毎月重ねることで、いろいろな経験を重ねることができる。
郊外に住む私たちは、それほどのストレスを感じることもなく母を連れ歩くことができている。店のスタッフの方たちもごく自然に慣れたようすで対応してくれる。大きな施設では、駐車場からどの階へもどの店へも、それほどの負担を感じることなく移動できる。エレベーターの乗降でも出会った人たちはみな気持ちよく接してくれる。
母と一緒に出かけると、
「ありがとうございます」
「すみません」
と言うことが多く、ときどきここまで低姿勢にしたほうがいいのか、そのあたりはもっと「ふつう」でもいいのかと、正直言うと感じることはある。だけど、「助かります」という思いは素直に伝えたほうが、こちらも、たぶん周囲の人たちも穏やかでいられるだろう。自転車に乗っていて、道を譲ってくれた人に「ありがとうございま~す」と声をかけるとの同じだ!
だけど、私たちの場合はあくまで高齢の母を連れていく行動範囲だ。食事をしたい、買い物をしたい・・・という母の希望を叶えるために越えなければならない壁は案外低い。
でももっと「ふつう」に歩き回ったり旅をしたり経験したりするには、下の記事のようにまだまだ戦わなければならないのだ。ハンデのある人が「もっと」と求めることが自然のこととして受け入れられる状況ばかりではないことは、やはり恥ずべきことだ。
同情でも哀れみでもなく、同じように息をする生き物として対等に意見を言い合いながら世界をかえていくこと、それが当たり前のこととして「ここ」にあってほしい。
http://www.huffingtonpost.jp/hirotada-ototake/post_15315_b_17326010.html
簡潔でわかりやすく、それでいて考えさせられる乙武氏のメッセージだ。
大騒ぎで都議選が終わった。
「厳しいご意見を真摯に受け止めて」「反省して」・・・
一夜明けて、ちょっと赤い目の人たちがコメントしていたけれど、反省してどうするのかは伝わってこなかった。
ここ最近の目に余る行為だけではなく、数の力にまかせて強引に進めた国会運営への私たちの疑問や怒りは、きっと彼らの予想をはるかに超えていたんだろう。
以前、「バリバラ」という番組で、カンニング竹山さんが実際に車椅子に乗って、車椅子の大変さを検証してみたことがありました。その時の竹山さんもまた、「すみません」と、何度も口にしていましたね。
もちろん、車椅子の人達は何も悪いことはしていません。でも、ついそう言いたくなるような状況が、多いんでしょうね。
「すみません」の代わりに「助かります」は、いい言葉だなと思いました。
私も障がい者ですが、やはり健常者の方からは対等に見られないというか、下に見られることが多いですね。
先述の「バリバラ」という番組で、海外の女性の障がい者の方が、「私達は障がいではなく、社会と戦っている」というようなことを言っていましたが、正にその通りだなと痛感しています。
昔に比べれば、建物のバリアフリー化などは進んでいるのだと思います。ですが、本当の意味でのバリアフリーになるのは、私が生を受けているうちに実現するのか、どうなのかといった所でしょうかね。
のぞいてくださってありがとうございます。
いえいえ、スピッツのことより、あの最後の書きっぱなしの文章に応じてくださってうれしいです。
ちゃんと最後まで筋道立てて書くべきなんでしょうけど(そして案外時間をかけてあーだこーだとやるのは嫌いじゃないのですが)でもここでは思ったことを感じたことを綴ってしまうことで気持ちをフラットにしているところがあります。不愉快に思われる方がいたら申し訳ないんだけれど。
「本来のバリアフリー」、いろいろ思うところ、ありますね。
私はとりあえず今は障害はないけれど(広い意味で、まったく障害のない人間はいないようにも思いますけど)、でも友人や関わりのある人たちを通して、言葉を通して、感じることは多々あります。
障害があるから余計に、がんばらなくてはと意識して疲れて、どうして自然にいられないんだろうと話してくれる友人もいます。
美談を流布して、いい気持になっている人はいないか、それが障害のある人を追い込んではいないか、などと。
差別とは蔑みとか、ちゃんと意識しているうちはまだ大丈夫なのかもしれない。怖いのは、「たいしたことではない」と流してしまっている自分の見方や意識の中に、自分とは異なる生き物に対しての「差別」が存在していることなのかもしれませんね。
「下に見る」こととは違うと思うけれど、人は自分に自信がないときに他者を見て、「ああ、大変な人もいるんだ」とか「私はまだ大丈夫かも」とか思うことがあるような気がします。もちろん私も。
なかなか優しい気持ちをもつのは難しいけれど、でも、「いろんな人がいるよ」とフラットに思えるようになると、自分も楽だし人にも穏やかに接することができるかな、と自分で思ったりしています。
ああ、朝から意味不明なことを書きました。ピント外れもいいとこです。恥ずかしい。
読み流してください。
スピッツの新曲、いいです。またダラダラ書きたいです。
今日のココは穏やかに晴れています。災害の画像をさっき新聞で見てショックを受けています。