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歯医者の友達

2013-01-26 | 日記

日本語ボランティアで知り合い、お友達になったOさんは、中国天津市で歯科医師をしている42歳。4年前に日本の先進的な歯科技術を学びたいと来日して、福岡市にある私立福岡歯科大学で研修をしています。この4月には4年間の研修を終えて、天津市に帰国します。地元では奥様と12歳の男の子がお父さんの帰りを待っています。写真の左がOさん、右は日本人のボランティアです。天津市は、総人口が1,115万人だそうです。東京都の人口はよくわかりませんが同じくらいかな?今年の夏に天津市に遊びに行くことにしました。Oさんが市内を案内してくれるそうです。中華料理がとっても楽しみ。

 


辞表

2013-01-24 | 日記

31年の長きにわたりお世話になった職場に辞表を提出した。震えた・・・・。

40歳代のころは、「60歳の定年まで勤めて、それから進む道を考えよう」と思っていた。しかし、50歳になった頃に、「定年後に、はたして体力や気力があるだろうか?少しでも気力がある今、一歩を踏み出そう」と思うようになった。

辞表を出したからにはもう後戻りはできない。本当にやっていけるのかという不安。独りで孤立しないだろうか、孤独に耐えられるだろうかという不安・・・、いろいろと思いを巡らせば不安はつきない。

しかし、これからは前を向いていくだけだ。不安との戦い・・・・・・・・。だめだったら撤退すればいい・・・・。肩の力を少し抜いて・・。


捨てる

2013-01-20 | 日記

 最近、山下秀子さんが書いた「断捨離(だんしゃり)」という本を読んだ。断捨離とは、あらゆるものごとの取捨選択を繰り返すと、結果として今まで見えなかったものごとが見えてきて、幸せな気持ちになるということ・・・らしい。

 また、今読んでいる江坂彰の著書「定年の迎え方」の中に、こういうくだりがあった。「今は、大事なことは何かということを見つける時代だ。だから、大事なものだけを残す。そのためには大事ではないものは捨てる。捨てていったら、自分にとって何が大事かというのが見えてくる。」

 「何を捨て、何を残すか。新しいことをするためには捨てる作業が大事だ。スペースを空けてあげないと何事も始まらない。」・・・・ということらしい。

 山下さんや江坂さんの本を読んでいろいろと考えることがあった。捨てるということを今から少しずつやっていこうと。


幸せな2人

2013-01-19 | 日記

Sさんは、中国・浙江省紹興市出身で、西安(唐の時代には長安と呼ばれていた)の西北工業大学を卒業して来日し、福岡市早良区百道にあるNECに勤めています。昨年夏、同郷の奥さんと結婚しましたが、奥さんの仕事の関係で別居婚をしているそうです。今日は、その奥さんをみんなに紹介していました。幸せいっぱいの2人なんです。本人の了解をとってアップしました。

 

次の幸せさんは、Oさん(男性)とENさん夫妻です。日本と違い、中国では結婚してもそれぞれの元の名字のままだそうです。Oさんは福岡市西区にある三菱電機に勤めています。この男の子(3歳)がとてもかわいく、日本人ボランティアにかわいがられています。

 


タイ、モーリシャスからの留学生

2013-01-19 | 日記

Kさんは、タイのバンコクにある大学を卒業して来日し、九州大学大学院に留学しているタイ人です。Kさんの故郷はトラートといって、タイの東の端、カンボジアとの国境近くにある静かな町だそうです。タイに比べたら福岡の冬はとても寒そうです。本人の了解を取ってアップしました。写真の中央です。

 

次は、モーリシャスからの留学生です。「モーリシャスから来ました」と紹介されたときは、はてさて、モーリシャスはどこにあるんだろうと思いました。アフリカのマダガスカルの近くにあるそうです。写真の左の女性がモーリシャス人、右は日本人のボランティアです。とても背が高く、スタイル抜群です。

 


ソウル・仁川(インチョン)国際空港

2013-01-19 | 日記

 

 

仁川国際空港は、韓国仁川広域市にある2001年に開港した国際空港で、KOREAN AIRとアシアナ航空のハブ空港となっています。

福岡空港(1645)→仁川国際空港(1810)KOREAN AIR

           仁川国際空港(1855)→タンソンニャット国際空港(ベトナム・ホーチミン市)(2205)

4月4日(木)、ベトナム・ホーチミンに赴任する際に、乗り換えのためトランジットしています。

仁川国際空港は→  http://goo.gl/maps/2XQrF

 地図の左にある+・-をクリックすると地図が拡大・縮小します。ピンで示した所がTarget Pointです。人型アイコン(橙色)を地図上にドラッグして青色の所でアイコンをドロップするとGoogle Street Viewを見ることができます。

 

 


赴任する大学

2013-01-17 | 日記

赴任する大学はこちらです。地図の左にある+・-をクリックすると地図が拡大・縮小します。ピンで示した所がTarget Pointです。人型アイコン(橙色)を地図上にドラッグして青色の所でアイコンをドロップするとStreet Viewを見ることができます。

 

http://goo.gl/maps/3IKR7

 


どんど焼き

2013-01-14 | 日記

 どんど焼きは1月15日に行われる火祭りで、正月に飾った門松、書き初めなどを焼く行事で、どんど焼きの火で、餅や団子を焼いて食べたり体を温めると災厄をまぬがれるとか、火にあたると若返るとかいわれています。火が高く上がるほど吉兆だともいいます。校区の小学校でどんど焼きを見に行きました。

今日は、韓国人留学生Hさん(Hさんは、ソウル高等裁判所の書記官で47歳。裁判所の国費留学制度を利用して、昨年4月に福岡に来て西南大学で日本の「成年後見人制度」を勉強しています。3月末にはソウルに帰国します。

裁判所の選抜試験は、相当の難関で、多くの希望者の中から現在、留学しているのはHさんと東京の大学に留学している同僚の2人だけだそうです。留学先としての日本は、地理的にも近いこともあり人気がある国と言っていました。選抜試験に合格するために、地元ソウルでは、仕事が始まる前の早朝に、ソウルにある日本語学校に通い、一生懸命に勉強したと言っています。努力の人です。尊敬します。どうりで、ほとんど日本人と同じくらい流暢にしゃべることができます。

 

前日から雨が強く降っていて、今日の予報も雨だったので開催が危ぶまれたのですが、10時の神事の頃には何とか雨も止み、無事どんど焼きが開催できました。強風だったので消防車も待機していました。

どんど焼きが終わった後は、子供たちが楽しみにしている「豚汁」がふるまわれました。婦人会の奥様方が小学校で豚汁を作って待ってくれています。私もいただきました。体が温まって、それはそれは大変おいしかったです。

 

 

 


祖母山

2013-01-13 | 日記

数年前、K.H.さんが祖母山の山行を企画してくれました。K.H.さん夫妻、N.I.さんと祖母山に登りました。「登りました」といったものの、体調不良でバテバテしまくりやっとのことで頂上に辿り着きました。思い起すと楽しい思い出。写真はK.H.さん提供。 

祖母山


日本語ボランティア わきあいあい

2013-01-13 | 日記

日本語教室は、地域のボランティアが平成7年から続けています。ボランティアとして登録しているのは30人程度(と思う)で、当日参加するか否かは自由です。他の用事で参加できない場合もあり、強制されないので長続きしているのだと思います。

男性は、ほとんどが定年退職した60歳代から70歳代の方々、一方、女性は40歳代から50歳代で現職で仕事をされている方もいます。クラスは、水曜の夜と土曜の午前中に校区公民館の講堂で行っています。講堂の倉庫から長机と椅子を運び出し、ボランティアと留学生達がいっしょに準備をします。

みんなで準備をしているところです。

私は土曜日の午前中に参加しています。教室は2時間で、途中お茶とお菓子の休憩があり、留学生達がボランティアのためにお茶を入れてくれます。

写真は中国人の女性で、上海で働いたあと、御主人が三菱電機に就職したため福岡に来たと言っていました。男の子(3歳)はお母さん大好きで、ぴったりと寄り添っています。

 

 

 

 

 

 


江坂彰「以前に捨てていた夢を思い出そう」

2013-01-11 | 日記

江坂彰の「定年の迎え方」から。

江坂さんは「以前に捨てていた夢を思い出そう」という。いわく、「若いころは、こういうことがしたいという夢があった。しかし、現実の生活を思うとやりたくてもできなかったことが誰にでもあるのではないか」という。

そういえば思い当たることがある。それは30歳代の前半の頃だったと思う。新聞を読んでいると、ある60歳代の男性が定年退職後、国際協力機構(JICA)が募集していたシニアボランティアに応募して、ブラジルに赴任し、日系ブラジル人に日本語を教えていると書いてあった。その男性は家族を日本に残し単身赴任しているという。その頃は子どもがまだ小さく夢は夢としてあきらめていた。

しかし、50歳を過ぎてそのころの夢が強烈に思い出されてきた。人生は一度きり。夢を現実にかなえたいと思うようになり、しだいに「60歳の定年が待ちどおしい」と思うようになり、最近は「定年の60歳までは待てない」と思うようになり、家族にはなんとか了解をもらい、長年の夢がかなえられることになった。でも何事もそうであるように、あまり強い思い入れはしない。ダメだったら撤収すればいい。肩の力を抜いて楽しんでこようと思う。

 


沖縄

2013-01-05 | 日記

9年前に住んでいた沖縄の景色です。

これは那覇市首里石嶺にある泡盛「まさひろ」の工場です。住んでいた宿舎の隣にあります。

子どもが通っていた石嶺小学校です。

宿舎です。

沖縄のモノレール

首里城

那覇空港


旧制佐賀高等学校(現:佐賀大学)不知火寮 寮歌を歌う

2013-01-05 | 日記

 遡ること35年前、1978年に佐賀大学に入学し、「不知火寮」に入りました。佐賀大学の前身は「旧制佐賀高等学校」で、1920年に設立され、1950年に廃止され、佐賀大学となったものです。その伝統ある大学の不知火寮に入った時の驚きといったら・・今でも鮮明に蘇る。2人部屋で隙間風が入り、冬は寒くて寒くて、布団を巻きつけ、毛布を幾重にも着こんで眠ったものです。深夜やっと眠りに入ったと思ったら、寮のどこからか・・・聞こえてくるのです。「起きろ、起きろ」。

何だ・・何なんだ・・と呆然としていると、先輩方々が部屋を開け、「これからファイヤーをするぞ。赤ふんどし いっちょになって集会所に集まれ」。

ということで、真冬の酷寒のなか、すっぱだかで白波の一升瓶をかかえ、ラッパ飲みをさせられ、寝ている全ての寮生を起こし、寮歌「南に遠く」を歌い、踊り・・・ああ、高校を卒業して、なんともおっとろしいところに入ったものだ。こうして振り返ると本当になつかしい。青春の貴重な体験です。

「南に遠く」は、35年前の記憶を呼び起こしながら書いてみました。「南に遠く」を愛し、当時一緒に歌ってくれたK.H.さんに加筆修正していただいたものです。機会があればK.H.さんと一緒に皆さんに披露します。 では・・・・

                  「南に遠く」 旧制佐賀高等学校寮歌

【巻頭言】

お-りゃ おりゃおりゃおりゃ~

仰げば星斗爛かんとして 永久の真理を囁く

頭(こうべ)を巡らせば不知火 延々として 若人の熱を語る

自然の恵み豊かなる この筑紫野の一角 天地の正気おりてたつるもの

実に我が佐大不知火寮なり

いざや歌わんかな 我らが朴訥(ぼくとつ)の歌 南に遠く

いざや踊り狂わんかな 我らが熱血の舞 南に遠く 

アイン ツバイ ドライ 

[1番]                   

南に遠く振古より

ゆえ不知火の熾りたち

明け暮れ若き血に煮ゆる

男(お)の子のこうと促がせば

健児集えるこの野辺を

人崇めたり火の国と 

[2番]

ああ青春よ我にまた

胸に燃え立つ火のありて

行く手遙けき人の世の

旅の標べを求めてぞ

伝えも奇しき不知火の

名に負う寮に籠もりたり 

[3番]

山抜かんとて持つ力

世を覆わんとて抱く意気

幾火となりて血は沸けど       

四年飛ばずまた鳴かず

雲雨を待ちて筑紫野の

月を仰ぎて唱詠す 

月を仰ぎて唱詠す