白米が「銀しゃり」、刑務所の麦飯が「麦しゃり」というのは有名な隠語です。 特に隠語で成り立っているようなすし屋に行くと、決して「ご飯」などとは言いません。 「ギョク、しゃり抜き」。 これ何のことかわかりますか? 何のことはない、玉=卵焼きですからしゃりを抜いてしまえば単なる卵焼きです。 では「ご飯」のことを、なぜ「しゃり」と言うようになったのでしょうか? 何となく分かるかもしれませんが、「しゃり」はインドの仏教用語である梵語の「舎利」からきた言葉です。 舎利は、火葬されたお釈迦様の骨のことで、仏教では大変尊ばれているものです。 この仏舎利(ぶっしゃり)は、輪廻の教えによると、回り巡って五穀にもなり、人間を助けるものと考えられました。 そして、特に主食としてのお米を尊んだ日本では、お米やご飯をこぼしたまま拾わないでいると、仏様の罰があたるといわれました。 仏舎利と同じようにお米は尊い、そしてお米は仏舎利の化身である。 このような考え方が、ご飯やお米を「しゃり」と呼ばせるようになったようです。 特にすし屋で「しゃり」と言うのは、お米そのもので成り立っている商売だからなのかもしれませんね。