GW突入だが、どこかに行く計画も盛り上がらぬまま、暦通りの休みに。なので今週はいつもの土日と変わらない。マンネリだなあとは思いつつ、よいお天気なのでチャリで目黒・品川方面へ。北沢川緑道のせせらぎには鴨の親子がいて、通りがかりの人達が足を止めて賑わっていた。雛は13羽もいるらしい。
■すずき大すけ/そのままこのまま/ギャラリーコスモス
展のDMの写真に惹かれた。が、それは全体の雰囲気からはむしろ異色の一枚。作家のまわりのいまいち盛り上がらない日常、ふと省みるように散りばめられた、子供や親世代の被写体。流され進んでいくことには踏みとどまりたい、ような気持ちが感じられた。勝手ながら。
■本杉美智子/nature展/再春館ギャラリー
高速道路の高架下やビルの谷間空間の、放置自転車とか受水槽とか雑草とか、日の当たらぬごちゃごちゃとした光景。作家は世界との一体感を感じている。粒子のレベルで、自身と取り囲む世界はつながっていると。その意識は全く突飛なものではないと思う。我が身がこの世界の一部であると感じるとき、というのはだれともあると思う。ただ、それを感じるときというのはどんなときか、作家の場合は、被写体のような種々雑多なモノ、ヒトではなく、が無造作にある様に導かれるのだろうか、と思った。
■GUY BOURDIN/東京都写真美術館
地下で無料で見られるAPA展がお目当てだったのだが、折角来たので見てみた。ついでに見るには、友の会価格でも千円というのは結構なものだと正直思った。果たしてあんまり…どうということはなかった。ファッション写真の先駆け、大御所として、そのジャンルの歴史に残る作品も数多く展示されていたに違いない。私が知らないだけで。いかに目を惹き、一定時間飽かずに眺めさせ、印象に残す、そんな仕掛けのお手本のように感じた。
■Destiny Deacon/東京都写真美術館
オーストラリアの先住民出身現代作家。アポリジニを模した土産物の人形をモチーフに白豪社会とその歴史の歪みを、ユーモアを交えて表現したもの、と言われても、美術館の白い壁に大延ばしされ整然と据えられたポラは哀しみ一杯であり、怨念を感じる。この作品が、オーストラリア社会、とまではいわなくとも、アートシーンにどう受け止められているのかをぜひ知りたいものだ。一見したところでは、写真で何を表現しても自由だが、およそ好きにはなれない写真だなあと思ったが、飢餓や貧困といった目に見えやすい悲惨ではなく、人々の心の根底に刷り込まれた偏見をビジュアルに示すには、こういう方法なのかもと思い直した。
■第34回APA展/東京都写真美術館
上記2展とも、積極的にメッセージを発する写真だが、日本人の手による広告写真がやはり最もわかりやすくて、オムニバス的な展示は見ていて楽しい。もうちょっと驚きやウィットに満ちたのを期待したいところ。
■蛭田英紀/汽水域/代官山フォトギャラリー
東京で過ごした時間が、故郷で過ごした時間を上回りつつあるのを機に、故郷を撮ったらしい。らしい、といのうのは、ちょっと結論がよくわからなかったから。撮りたいのだがやっぱりまだ無理、のようにも読めた。被写体からも判断できず、むしろそのどっちつかずなところが、この展のタイトルの真意なのかもと思い気にしないことにした。須田一政の言、写真は撮り手の心の内を写すもの、を引いて、写ってているだろうかとのコメント。ところどころ、わざとトバシたようなプリントとか不自然に外した構図はちょっと逆効果にような気がした。
■すずき大すけ/そのままこのまま/ギャラリーコスモス
展のDMの写真に惹かれた。が、それは全体の雰囲気からはむしろ異色の一枚。作家のまわりのいまいち盛り上がらない日常、ふと省みるように散りばめられた、子供や親世代の被写体。流され進んでいくことには踏みとどまりたい、ような気持ちが感じられた。勝手ながら。
■本杉美智子/nature展/再春館ギャラリー
高速道路の高架下やビルの谷間空間の、放置自転車とか受水槽とか雑草とか、日の当たらぬごちゃごちゃとした光景。作家は世界との一体感を感じている。粒子のレベルで、自身と取り囲む世界はつながっていると。その意識は全く突飛なものではないと思う。我が身がこの世界の一部であると感じるとき、というのはだれともあると思う。ただ、それを感じるときというのはどんなときか、作家の場合は、被写体のような種々雑多なモノ、ヒトではなく、が無造作にある様に導かれるのだろうか、と思った。
■GUY BOURDIN/東京都写真美術館
地下で無料で見られるAPA展がお目当てだったのだが、折角来たので見てみた。ついでに見るには、友の会価格でも千円というのは結構なものだと正直思った。果たしてあんまり…どうということはなかった。ファッション写真の先駆け、大御所として、そのジャンルの歴史に残る作品も数多く展示されていたに違いない。私が知らないだけで。いかに目を惹き、一定時間飽かずに眺めさせ、印象に残す、そんな仕掛けのお手本のように感じた。
■Destiny Deacon/東京都写真美術館
オーストラリアの先住民出身現代作家。アポリジニを模した土産物の人形をモチーフに白豪社会とその歴史の歪みを、ユーモアを交えて表現したもの、と言われても、美術館の白い壁に大延ばしされ整然と据えられたポラは哀しみ一杯であり、怨念を感じる。この作品が、オーストラリア社会、とまではいわなくとも、アートシーンにどう受け止められているのかをぜひ知りたいものだ。一見したところでは、写真で何を表現しても自由だが、およそ好きにはなれない写真だなあと思ったが、飢餓や貧困といった目に見えやすい悲惨ではなく、人々の心の根底に刷り込まれた偏見をビジュアルに示すには、こういう方法なのかもと思い直した。
■第34回APA展/東京都写真美術館
上記2展とも、積極的にメッセージを発する写真だが、日本人の手による広告写真がやはり最もわかりやすくて、オムニバス的な展示は見ていて楽しい。もうちょっと驚きやウィットに満ちたのを期待したいところ。
■蛭田英紀/汽水域/代官山フォトギャラリー
東京で過ごした時間が、故郷で過ごした時間を上回りつつあるのを機に、故郷を撮ったらしい。らしい、といのうのは、ちょっと結論がよくわからなかったから。撮りたいのだがやっぱりまだ無理、のようにも読めた。被写体からも判断できず、むしろそのどっちつかずなところが、この展のタイトルの真意なのかもと思い気にしないことにした。須田一政の言、写真は撮り手の心の内を写すもの、を引いて、写ってているだろうかとのコメント。ところどころ、わざとトバシたようなプリントとか不自然に外した構図はちょっと逆効果にような気がした。
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