※「神子屋教育の礎」※
■みみかに起きた登校拒否に関する経緯と現状
2006.9
毎日元気に楽しく登校していたが、突然9月に入ってから普通に学校へ行けなくなる。
朝目を覚ますと開口一番「学校行かない!」、「お母さんがいい!」そう言って号泣。
無理やり切り離そうとすればするほど彼女の号泣は激しさを増し、離されまいと泣き叫びながら私に抱きつこうとする。
保育所や幼稚園などで母子が離れる瞬間の風景によく見られることだが、彼女の場合、一過性としては必要な範囲を遥かに超えた異常な表現で余りあるものが有った。
当初、色々なことに疲れが出て甘えているのかと思い、学校をお休みさせていただいた。その後は、私から全く離れない状態の彼女を引きずりながら一緒に登校したり、無理やり集団登校の渦の中に押し込み、私は逃げるよう帰ったりもした。
抵抗がひどく通常の登校時間に間に合わないときには、母子登校し先生方が彼女に優しく説得して下さったりしながら、懸命に引き離すという場面もあった。
それでも泣き叫んで埒があかないときには、「お母さんは別室で待っているから」と彼女を安心させ、一日中学校で待機することに。
しかし、そのうちに別室にいる私に幼児のように抱きつき離れなくなったので、教室の後方から授業を見守る方法をとってみるが、号泣しながら私のそばを離れず授業にならない。それではと、別室で勉強できるものは私と一緒にし、給食も(私はお弁当を持参し)一緒に食べ、あらゆる方法を試みた。
どんな場合でも、彼女は引き離す者(特に大人たち)に対して物凄い態度で抵抗し、周りの様子など何もお構いなしで、ひたすら「イヤー!お母さんがいい!」と言って泣き叫んだ。
子供を母親から切り離そうとする大人たち、私自身や先生方はもちろん、周囲でそれを見る大人たちや子供たちにも、心が痛むほどの情景がそこにはあった。
そのうち、「学校は怖いところ!」「学校へ行ったら自分は死んじゃう!」「学校へ行ったら帰って来られなくなる!」「学校怖い、人間も怖い!!」そういう訴えをするようになった。
何故、学校が怖いのか?
何故、学校へ行ったら死んじゃうのか?
何故、帰って来られないのか?
何故、人間が怖いのか?
どうしてそんな風に思うのかを聞くが、「怖い」「怖い」を連発し「どうしてだか分からないけど怖い」「どうしてか分からないけど何かが怖い」と泣き叫んで言うばかり。
そして、「学校なんか潰れてしまえ!」「学校なんか無くなってしまえ!」「学校なんか大っきらいだー!」と、【学校】を激しく罵倒し始める。
以上のような表現をするかと思えば、素のままの彼女の時には、「学校も友達も先生も勉強も嫌いではない、『行きたいけれど行けない』。」とも彼女は言う。
母親に対する異常な執着の表現や、彼女自身何故だか理由は分からないがそう感じたり思ったりするこれらの訴え表現は、彼女が流産児たちの思いを感受しリンクしていると私は考えています。
そしてまた、私はこれらのことを彼女の素晴らしい感受性の能力であり、人の悲しみ・喜びを深く感じやすい優れた心を持っているのだと考えています。
(2007/06/02掲載文)
■みみかに起きた登校拒否に関する経緯と現状
2006.9
毎日元気に楽しく登校していたが、突然9月に入ってから普通に学校へ行けなくなる。
朝目を覚ますと開口一番「学校行かない!」、「お母さんがいい!」そう言って号泣。
無理やり切り離そうとすればするほど彼女の号泣は激しさを増し、離されまいと泣き叫びながら私に抱きつこうとする。
保育所や幼稚園などで母子が離れる瞬間の風景によく見られることだが、彼女の場合、一過性としては必要な範囲を遥かに超えた異常な表現で余りあるものが有った。
当初、色々なことに疲れが出て甘えているのかと思い、学校をお休みさせていただいた。その後は、私から全く離れない状態の彼女を引きずりながら一緒に登校したり、無理やり集団登校の渦の中に押し込み、私は逃げるよう帰ったりもした。
抵抗がひどく通常の登校時間に間に合わないときには、母子登校し先生方が彼女に優しく説得して下さったりしながら、懸命に引き離すという場面もあった。
それでも泣き叫んで埒があかないときには、「お母さんは別室で待っているから」と彼女を安心させ、一日中学校で待機することに。
しかし、そのうちに別室にいる私に幼児のように抱きつき離れなくなったので、教室の後方から授業を見守る方法をとってみるが、号泣しながら私のそばを離れず授業にならない。それではと、別室で勉強できるものは私と一緒にし、給食も(私はお弁当を持参し)一緒に食べ、あらゆる方法を試みた。
どんな場合でも、彼女は引き離す者(特に大人たち)に対して物凄い態度で抵抗し、周りの様子など何もお構いなしで、ひたすら「イヤー!お母さんがいい!」と言って泣き叫んだ。
子供を母親から切り離そうとする大人たち、私自身や先生方はもちろん、周囲でそれを見る大人たちや子供たちにも、心が痛むほどの情景がそこにはあった。
そのうち、「学校は怖いところ!」「学校へ行ったら自分は死んじゃう!」「学校へ行ったら帰って来られなくなる!」「学校怖い、人間も怖い!!」そういう訴えをするようになった。
何故、学校が怖いのか?
何故、学校へ行ったら死んじゃうのか?
何故、帰って来られないのか?
何故、人間が怖いのか?
どうしてそんな風に思うのかを聞くが、「怖い」「怖い」を連発し「どうしてだか分からないけど怖い」「どうしてか分からないけど何かが怖い」と泣き叫んで言うばかり。
そして、「学校なんか潰れてしまえ!」「学校なんか無くなってしまえ!」「学校なんか大っきらいだー!」と、【学校】を激しく罵倒し始める。
以上のような表現をするかと思えば、素のままの彼女の時には、「学校も友達も先生も勉強も嫌いではない、『行きたいけれど行けない』。」とも彼女は言う。
母親に対する異常な執着の表現や、彼女自身何故だか理由は分からないがそう感じたり思ったりするこれらの訴え表現は、彼女が流産児たちの思いを感受しリンクしていると私は考えています。
そしてまた、私はこれらのことを彼女の素晴らしい感受性の能力であり、人の悲しみ・喜びを深く感じやすい優れた心を持っているのだと考えています。
(2007/06/02掲載文)