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神子屋教育🇯🇵(かみこやきょういく)

我が家流/みみかとママの「おうち」教育

みみか情報③/不殺生菜食(給食について)

2014年04月21日 | 不登校
※「神子屋教育の礎」※

■不殺生菜食(給食について)

我が家では牛・豚・鶏・魚介類・タマゴを食べない「不殺生菜食」をしており、私は「不殺生菜食者」です。
だしやルーなども動物性が入っているものは一切使いません。
彼女には強制してはいませんが、家庭で食べるものは必然的に「不殺生菜食」となります。
学校給食もいっそのこと、お弁当を持たせようかとも思いましたが、彼女自身が私の姿勢を見て自然と肉食をやめたくなった時、その時に給食をどうするべきか考えようと思っていました。
お肉やお魚が給食に出たときには、みみかのために生命(いのち)を下さるのだから、必ず「いただきます、ありがとう」と心の中で言ってね、と話していました。
家庭以外でも、ここ最近は自分からほとんどお肉を食べなくなって来ています。
給食に至っては、気持ち的にかなり受け付けなくなって来ているようなので、今後どのような方法が良いのかを検討していく必要があると感じています。
我が家の教育に関して大変重要なことですので、私が「不殺生菜食者」になった経緯にも触れておきます。

私は、日本をはじめ地球上に溢れるさまざまな悲しいと見える出来事(特に、子供たちの生命に関わる事件事故が起きるたび)に、この世が調和した平和な世界になるために、「今、私に出来ることは一体何なのか?」と以前から思いを巡らせていました。
この世の現象が全て、『生命』から関わり起きていることを考えるなら、『生命』自体を無視した世界は当然滅びてしまいます。
私は生命に関わる出来事が起きるたび、この世に生まれて来られなかった(※)流産児の生命を考えるようになりました。それらが何らかの形でリンクしているように感じられて仕方が無く、以前からずっとそれらの生命(いのち)に対して、愛と感謝と懺悔の気持ちで祈り続けていました。(※流産児・・・水子。自然に流れてしまう場合を自然流産児、堕胎中絶によって殺められる場合を人工流産児と言う。)

そんな折、ある事件が私の心に衝撃をもたらしました。
平成16年に奈良県で起きた、あの小学1年生の少女が犠牲になった事件です。その1年後には、立て続けに同じ学年の子供たちの生命(いのち)が奪われ失われて行きました。どうにも言葉に出来ない悲痛な思いが私の全身を貫きました。
何ものかの強烈な思いがその時、奥底で私の心に働きかけてきたのです。
“生命(いのち)を守りたい!”と、強く強くその思いは私に訴えかけました。

それまでも、される瞬間に牛も豚も涙を流すと聞き、徐々に肉食を減らしてきてはいましたが、そんな胸中の私にある友人の言葉が私に「不殺生」を決意させました。
それは、「目の前に来たからと言って、食糧として殺された自分の子供の屍肉を食らう母親はいない!」という一言でした。
それは『ストン!』と私の心の中に入り込み、「そうだ、本当にそうだ!全ては同じ生命(いのち)。感謝すればそれでいい、そう思っていた私の心は間違っていた!」と、その一言は私の奥深くの何ものかを激しく突き動かしたのです。
変な言い方ですが、頂く生命に対し感謝を捧げることで、それまで私の心は折り合いを付け肉食することを肯定してきたように思います。

“生命(いのち)を守りたい!”そう強く思わせる私の奥底にある何ものか。
それは、『母性』です。
全ての生命の母であると思える女性特有の『母性』が、女性である私には宿っています。友人の言葉は、私のこの『母性』を大きく揺るがし目覚めさせました。
「目の前に出されたもの、与えられたものを感謝して食せばいい・・」そんな風に、私はもう思えなくなっていました。
『全ての生命は繋がっている!人間の生命だけの問題ではない!もうこれ以上、生命を殺すこと・奪うことを私はやめよう!』私はそう決意し、「不殺生菜食者」となったのです。

私の育った家庭は、どちらかと言えば食というもの(特に肉食)には、全く関心のない家でした。
ですから、私は子供のころからハンバーグが大好きでした。
しかし、の際の動物たちの涙を知る大人になった私は、肉食すると体に反応が出て戻してしまうようになり、自分の魂が肉食することを体を使って拒否しているのだと感じるようになりました。
その頃から、私は肉食を段々と減らすようになり、ハンバーグで言うなら使用するお肉を、牛から豚へ豚から鶏へと変え、量もなるべく少量にして豆腐ハンバーグへと移行して来ました。
そして、肉食をする際は必ず感謝の思いを添えて頂くようになりました。すると、体の拒否反応は出なくなっていました。

「当たり前」のように食していた動物たちが、実は涙を流していた。
涙を流しながら、私たち人間のために犠牲になり、自分の体の肉を捧げてくれていたのだ。『なんと可哀相なことだろう!ああ、ゴメンナサイ!そんな思いをさせていたなんて!なんの懺悔もそして感謝の気持ちも抱かずに、ただ「当たり前」に食していた私を許して下さい。』・・これが私の「不殺生菜食者」の第一歩でした。

『不殺生』については肉食をしないということもさることながら、私は虫を殺さないということも心がけています。
『不殺生』を決意する以前の私は、アリや蚊などが自分の目に映ればすぐに、何も考えることなく反射的にブチッと潰したりバチンとやっつけたりしていました。
それまでの私にとって、それらの生命は明らかに自分を害する殺すべき『敵』だったのです。生まれた時からそういったことを疑いもせず、それが「当たり前」で過ごしてきたのですから無理もありません・・。
それに、振り返ってみると自分自身が実際『不殺生』を実践するまで、ベジタリアンや人間にとって害虫であるはずの虫の命を守る行動などに対し、心の中では距離を置きどこか冷めた目で見ていた私がいたようにも思います。
正直、「不殺生菜食」も害虫たちを殺さないことも、実際に始めるまでは『栄養面では大丈夫だろうか?』『蚊や蜂の攻撃やアリやクモの侵入を、ただ受けとめることなんて本当に出来るだろうか?』こういった思いを含め、『億劫だな、面倒だな、不安だな』などと私は思っていました。
しかし、全ては繋がっている命・・生命礼拝・生命尊重・・その思いは強く、『全ての命あるものとの調和』を心に描き、『生命礼拝・生命尊重』を実践し始めました。

ハンバーグが大好きだった私が、「不殺生菜食者」になるために歩んできた行程を振り返ると、その時その時に応じたステップがあるように思えます。
何も知らず、知らされる機会もなく、涙を流す動物たちの肉をただ「当たり前」的に食していた段階から、頂く生命(いのち)に対して心から感謝を捧げるという段階があり、やがては自己の内に繋がる全ての生命を感じ、自ずと導かれ調和した世界を描こうとする意識の持ち主になって行く。
あくまでも、その個人の魂が自然にそうに導かれたとき、あるべき形になるのだと思うのです。
『全ての生命(いのち)あるものとの調和した世界』・・・それらを想像(創造)する人や世界には、生命に関わる悲しい出来事はきっと起きないと私は思うのです。

(2007/06/02掲載文)

関連文章:
「不殺生菜食者」になった理由③『調和した世界の創造』Ⅰ
「不殺生菜食者」になった理由③『調和した世界の創造』Ⅱ
「不殺生菜食者」になった理由③『調和した世界の創造』Ⅲ
(2009/05/20~24掲載文)
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