私は毎日「甘露の法雨」というお経を読んでいる。
20数年前、無知・無明だった私が出会った「真理の言葉」。
大袈裟ではなく、私はこれで救われ、生きて来れた。
「宇宙の真理」を知り、様々なものを感じ、いろんな体験をして、今此処に存在している。
ちゃんとした日本人になる!「特攻隊」で紹介した、特攻隊員の方々の「遺書・手紙類」の中に、この「甘露の法雨」のことが書いてあり驚いた。
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ユーラ、ユーラと優しかった土台の揺れが、大きく激しく円を描き、今まさにひっくり返ろうとしてる。
そんな状態の土台から、滑り落ちないように、重力に負けないように、必死にしがみついてるような感覚。
なんて言うか、重力が重い。
床に這いつくばって、少しずつしか移動できない感じ。
立っていても頭も目も、世界がぐるぐる回る。
歩いていても、後ろに引っ張られるようで進みにくい。
そして、体中が焼かれるように怠くて熱い。
そんなこんなで、ここしばらく、ブログの更新も出来なかった。
体も気持ちも動けない、動かない・・。
実は年々、心身の変化が激しく、今年はもうピーク。
一歩も外に出られないという日が多く続いた。
買い物にも、庭にある畑にさえも出られない。
今年の自然農畑は諦めるつもりだった。
だけど、主にみみかが畝を整備し、種を蒔き、作物を育ててくれてる。
ちょうどタイミングよく、畑作業に興味を持ってくれたので助かった。
黙々と働いてくれている、有り難いです。
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「甘露の法雨」と一緒に、毎日読んでいるものがある。
「〝最後の審判〟に就いての神示」というもの。
まさに、今の時代を現している。
(下記に記す。)
私が感じた事を書いた文章は、この神示の内容を知る前のことだった。
私の場合、ごくごく個人的な信仰をしている。
限定された宗教団体に対する信仰ではなく、釈迦やイエスも説いたと同じく「宇宙の真理」に対して。
「宇宙の真理」を知ろうとする姿勢は、人間にとって最も重要なことだと思う。
それは人間の本質を知ることだから。
日本人は特に、元々そう知ったことを既に知っている。
きっと思い出すだけなんだ。
「偽」と「虚妄」を祓いのけて。
思い出したら、ちゃんとした日本人になる!
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〝最後の審判〟に就いての神示 / (谷口雅春・著)
キリスト再び臨(きた)りて審判(さば)くとは今のことである。
キリストとは肉体にあらず、『眞理』である。
キリストとは肉体にあらず、『光』である。
肉体のわれの臨(きた)るを待ち望むな。
吾れは既に此処に臨(きた)れるに非ずや、吾れは道である、眞理である、光である。
『真理(われ)』来たって虚妄(まよい)を審判(さば)き、『光(われ)』来たって暗黒(やみ)を審判(さば)き、すべての虚妄(まよい)と暗黒(くらき)とを地獄の火に投げ入れてこれを焼き滅ぼす。
今こそ最後の審判であると知れ。
されど恐るる勿れ、吾が宗教(おしえ)は恐怖の宗教(おしえ)にあらず。
虚妄(まよい)を焼かるる者は却って生き暗黒(やみ)を焼かるる者は却って光をあらわさん。
病は癒やされ、悩みは消えん。
焼かるる者は『汝』にあらずして、『虚妄(にせもの)の汝』であるからである。
『虚妄(にせもの)の汝』は神より出づるにあらず、神より出でざる汝は實在にあらず、實在に非る汝はその眞相を暴露して消滅せん。
わが臨(きた)れるは、『眞(しん)』と『偽(ぎ)』と、『實在』と『虚妄(こもう)』とを選り別けて、『偽(ぎ)』と『虚妄(こもう)』とを永久に非實在(ぢごく)の中に葬りて封印を施さんがためである。
(昭和六年九月二十八日朝神示)