2月には、新潟市西区と中央区で、それぞれ別の趣旨ですが、読み聞かせボランティア向けの講座がありました。
西区の講師は本を出しているわけではないので事前に情報を取ることはできませんでした。中央区で呼ばれた人のは、できました。そして今、ネットでその様子をあちこちつまみ食いのように見ています。
2月の西区のは、「学校だからちゃんとやらなくちゃ」という思いから来ていると思います。チラシを見ただけでわかります。
で、私は、学校の学習指導要領が変わっていっていることを、この講師や受講生の皆さんは知っているのだろうか、という思いにかられます。
別に政府のやり方がいつも正しいと思っているわけではないけれど、長い間の現場の研究により、良いものだけを上手に教えるやりかたを変えよう、という意識の高まりの結果、順次変わっていった様子があるので、講師の方々も気づいてくれるといいなあと思っています。
現在、「絵本の世界を伝える」ことに汲々とするボランティアの姿を見ると、「学校の現実は、今やそれとは違う次元ものを追っているんだよ」とポンポンと肩をたたきたくなります。第一、大人が本を読むのを聞いて感動させられるために子どもは存在するのではないのだし。
中央区のほうは、講師の本を読んでありましたが、立ち位置としては、自分も近いと思いました。本を読んで「保育絵本」についての捉え方も、新しくすることができました。絵本の会でやったセミナーでもそれは参考になりましたし、若い親の世代にも安心を届けられたと思っています。
そして今日、『子どもの文化』誌3月号=「側(サイド)の発想」を乗り越えるために=
を読んで、そうだなあ、「あっち側、こっち側」の発想を乗り越えなくちゃな、などとも思っています。西区の講師や「絵本好きの方々」が ある種の絵本を一懸命排除しようとしているのは相変わらずですが、それは「こっち側」の人間の絵本の好みでしかないのでしょう。それを乗り越える技量のある新しい講師が現れることを切に願っています。
現場のボランティアは、常にこの 「あっち側こっち側」の接点にいます。どんな子ども、どんな大人とも打ち解けて、和やかに、意見を重ねていく必要のある現場です。それは、ユーモアのある会話や対等であるという意識で乗り越えることができるように、私には思えます。