小学校訪問③ 語り

学校訪問では語りをやってほしいという要望があります。絵を自分で思い浮かべながら聞くという体験は珍しいのかもしれません。
 私は、今年は、3年生以下には「こびとのくつや」を、4年以上には「権現堂の弥三郎ばさ」を語りました。
 
 低学年でやった「こびとのくつや」というと、結構知っている子どもが多いのでやりやすいです。今回、もちろん自分の言葉で語りましたが、5冊くらい絵本や児童書を読みました。ストーリー展開はみな同じでした。昔話にはナンセンスなほど不思議な展開があることが多くてそれが魅力でもあるのですが、あまりそういうことのない率直な話で、低学年にも受け入れやすいと思いましたし、とても覚えやすかったです。
 私が工夫したのは「靴屋さんといっても、子どもは靴流通センターのようなところを思い浮かべるだろうな。それならそこをもう少し説明しよう」と思い、原話にはない「靴屋さんは靴の皮を仕入れて靴を縫って、それを売るのを仕事にしていました」などとと付け加えました。

 4年生以上は、中越地区魚沼の伝説を選びました。実はこの話は、ずいぶん昔から語りたいリストに入れていたのですが、差別と子喰いという暗さダブルパンチで、語れる文章にするのにずっと迷い続けて棚上げしてきました。いつも春のうちに演目を決めるのですが、今年は熟した木の実が落ちるように「こうしよう」と決断できました。
 雪の伝説の本と、魚沼で作られた絵本をもとにしたのですが、これらはみんな最後の部分で、弥彦の鬼ばさと空の上で歳暮のやりとりをしているというオチがあり、暗い話を救って明るくしているように思えたのでそれを大切にしました。話の最初には、「皆さんは中越地区はこの辺よりもずっとたくさん雪が降るということをご存知ですか?」と問いかけて話し始めました。子どもに死なれると大人はどれほど悲しい気持ちになるかがこの話のポイントでもあるので、解説本(タイトル忘れ)に出てきたように「孫を返せ」と鬼ばさに叫ばせました。命を粗末にするなと子どもに伝えたかったのです。語った文章を次のページにアップします。これを一言一句同じに語ったのでなく、揺らぐような振れがあったことは確かです。この「揺らぎ」が語りに人間味を加えるものだとずっと信じています。

 6年生には、恒例の「明和義人ものがたり」の紙芝居をやりました。絵があるのですが、ほんとに紙芝居はストーリーテリングだなと、これをやるたびに感じます。去年は2人、今年も2人、絵本の会のメンバーもこれをやってくれました。ありがたいことです。

ps. 昨日の朝日新聞の1面の広告に、三弥井書店の『昔話を語り継ぎたい人に』(石井正巳/編)という本が載っていました。借りて読んでみます。アマゾンの紹介を読むと、「話術を越え・・・」とあるようです。ちょっと期待しています。



 

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