繰り返して練習すると語りやすくなる

『こどもとしょかん』104号に、ストーリーテリングのやり方として、本の通りに覚える、という指導がされています。最初は舌に乗りにくいものでも、繰り返していると違和感がなくなるそうで、何度もやってふと気づくと、その部分は自分なりに言い易い言葉になっているから、それはそれでよし、ということだそうです。

 私は、ここに、「暗誦型」が延々と続いている原因があると思っています。上の文章は、よく読むと、「覚える側」「語り手側」の都合で書かれたものです。さて、聞き手の立場に立ってみましょう。「舌に乗りにくい」箇所を聞いて聞き手はどう思うでしょう。初めて聞いて、違和感を持つのはあたりまえではないでしょうか。 語り手側は何度も練習するから次第に自分の言葉として慣れていきますが、聞き手の方は、「イミわかんねー」のままその後数分過すことになります。語り手が何度も練習するように、聞き手は何度も聞かないのですよね。そこで、その話は、聞き手に真似されることもなく、遮断されるわけです。

 ここで「語り手側」の「自分さえ良ければ」が見えてこないでしょうか。自分さえ、自分の舌にのるようになったから、ああよかったわ、で済ませるわけです。反省会は「自分たちが文字をいかに上手く表現するか」に意見が集中していきます。
  おまけに、話それぞれに「このように語りましょう」と、色々な本で解説がされてもいます。ここでも見えてくるのは、「いかに自分が上手く語ってみせるか」という視点です。全て、「自分たちは上手いのだ」と「ああ良かったわ、自分はステップアップしたわ」といい気持ちになるわけですね。いつだったか、ボランティア交流会で、テキストどおりに語って見せて「司書です」と胸をはっていた方がおられました。けれど、自分がうまくやるよりも、語りが子どもの文化になっていくように工夫することが、教育者のするべき仕事ではないだろうか、というのが私の考えなもので、なにか悲しかったです。

 それから、「まずはよいテキストを選んでそれを覚える」というような部分もあり、それについても、異論があります。これが、以前私が問題視した、ものの考え方が「集約型」になっている核心部分だからです。「排除型」と言ってもいいでしょう。一番良いものを選んでそれに依存する、それ以外はなかったことにする、という発想ですよね。いわば1か0かの選択をするわけです。
 大切な視点が欠けている、と思いませんか?時と場所・相手によって臨機応変に変えていくとか、いくつかの資料を総合して工夫するとか、そういった人間の創造的な部分を無理に省いているように思えます。それは、0.5というのを認めない世界です。そんなに資料と違うと困ることがあるのでしょうか。もともと語りは、文字が読めない人も、また、文字に書き留める前から、存在していたはずです。もちろん大胆に翻案されて昔話になった例もあるのは、皆様ご存知かと思います。

 「もりだくさん過ぎる」ということを警戒する部分もあります。この文章では「時間内もれなくおはなしで埋めなくてはならない」というようなことを戒める文脈で書かれていて、それは同感ですが、実は、これが人から人に伝達されていく途中で拡大解釈されるのですね。なぜか「目先の変わった本を入れること」「人形使いなど見た目の変わった事をすること」も「盛りだくさん」と批判されてきました。「絵本の世界」に集約して純粋さを求められるようになっていきます。
 「おはなしの世界を壊さないように」途中でドアの開け閉めをせず、閉鎖空間を保とうとします。大型絵本はめくりのタイミングが上手くいかず絵本の表現を損なうとか、果ては「自己実現で読み聞かせをしないでよね」と、いろいろな工夫を批判するようにもなっていきました。

 誰でも、自分の意見を述べることは大切なことで、私もそうしています。書いているうちは個人の趣味ですし、自分でもそう思うのですが、周囲にうのみにされたり持ち上げられたりしているうちに、反対意見さえ聞こえてこなくなるもの。
 だから、なるべく、「自分はこうしている」「自分はこう思う」という個人的な立場で書く必要があるな、と、書いているうちに分かってきました。もちろん、自分の名前の下に他の人の名前を従えて書くような、そういう気風を作らないようにしていきたいと思っています。
 新潟市には、相手がまだ意見を言っている最中に、怒鳴り声をだしてさえぎる人が多いのです。だから私は書き続けるのかもしれません。なぜ怒鳴るのか、きっと上層部にそういう人がいて見習ってきたんだろうなー、と弱者はそう感じるもの。きっと、自分の習った先生のメンツをたてたり、また、異論を受け付けることで自分が否定されたような気持ちになるのでしょう。私は、ずっと昔も、また、去年の春も、そんな目にあいました。自分がそれをしたような記憶さえあります。だから、そんな高圧的な態度をとる原因はどこにあるのか、自分でわかるのでこのように書いています。
 新人だけでなく、長くやっている人間の方が「繰り返して今までのものを踏襲する」より、厳しく自己改革する必要があるのだと思っています。

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