アンデルセン排除の理由

絵本の会で雑談していたとき、「昔の記憶を辿ると、いつからか、アンデルセンやイソップを読まなくなった」というような声がありました。
「東京子ども図書館がダメだって言ったんだよ」とつい簡単に言葉を発してしまった私ですが、その辺の詳しい経緯をまとめようと思って書きます。

論拠としているのは、「自分の経験」と『はじめて学ぶ日本児童文学史』鳥越信/編著(ミネルヴァ書房)です。
「自分の経験」というのは、「良いものだけを子どもに」と教えられたという経験です。「良いもの」というのが具体的にわからないので、図書館のおすすめ本ばかり読んでいた時期がありました。そのなかにアンデルセンやイソップはなかったので結果として遠ざかったのです。

もう一つの論拠は、『はじめて学ぶ日本児童文学史』の第17章さよなら未明ー(童話伝統批判と現代児童文学の成立)の部分と、この本のP348のコラム「童話」のページです。
 「はじめて学ぶ」のシリーズは、おもしろいので何冊か(飛ばし読みですが)読みました。絵本や紙芝居に遠からず関係あるような気がしたからです。

私のまとめで申し訳ないですが、これらの部分をまとめてみたいと思います。
 1950年台に、「童話伝統批判」という潮流があったそうです。私が生まれた年代ですね。
韻文的で言語の合意性(言葉の中に深い意味を持たせる=コノテーション)を「童話」の特性として、「童話的」な作風の未明や浜田広介や坪田譲治を否定し、宮澤賢治や千葉省三や新美南吉の仕事を肯定した。これは当時の革新的な考えで、『子どもと文学』(中央公論社1960年)(共同執筆者:石井桃子・いぬいとみこ・鈴木晋一・瀬田貞二・松居直・渡辺茂男) という本もこの論調だそうです。
 とりわけ『子どもと文学』石井桃子/著の中には、「世界の児童文学のなかで、日本の児童文学は、まったく独特、異質なものです。世界的な児童文学の基準ー子どもの文学はおもしろく、はっきりわかりやすくということは、ここでは通用しません」という記述があるそうですが、これらは長い時を経て、わたしたちにも伝えられました。要するに、深くて情緒的でちょっとわかりにくい遠回しな表現よりも、すっきりとわかりやすい表現がいいんでないか、これが世界基準よ、早く世界レベルにならなきゃね、という、当時のお考えです。
 それに付け加えて、 いぬいとみこは、未明を「作家が児童文学を『児童のために書くのではなく』『作家の忠実な自己表現のために書く』」と位置づけているそうです。つまり、「小川未明は、子どものためでなく、自分の表現のために書いたんだから、良くないわね」という発想ではないでしょうか。

 けれど、「作家が自分の中の子どもに時空移動して、その子どもである自分の忠実な自己表現のために書く」というスタンスも私は大事だと思うのです。そこには、常識という縛りがないので、言葉遣いが大人びていても、中身は子どもの文学だと思います。

P348のコラムでは、その「童話的」なものの第一人者としてアンデルセンを挙げています。これで「アンデルセン」排除の理由がわかります。イソップは多分、「教訓的」というところが駄目だったんではないでしょうか。(大ざっぱな判断ですいません)

 こんな革新があったせいか、韻文の反対語の散文(小説的)な児童文学がどんどん生まれてきました。それはそれでよかったかと思います。そして、現実は常にギャップはありますから、このコラムにもあるように、韻文的性格の「昔話の形式」は大切に伝えられ、「童話的な文体」の作品もたくさん生まれています。

ただ、「散文がいいわね」的な考えは尾を引き、「書き言葉をそのまま暗記する」という、今のストーリーテリングの図書館の指導に、ずーっとつながっていると感じています。何と言っても石井桃子の言葉に逆らえなかったんではないでしょうか。 外国文学でも「完訳」が大切で、「翻案」は排除になったりしました。児童文学の改革にあたった人びとがほとんど翻訳者だったことを思えば、気持ちはわかります。でも、アンデルセンやイソップの話がそのまま翻訳されたものは、活字で読むことはできるけど覚えるのは大変です。なんだかんだと子どもからは遠ざかったんじゃないでしょうか。
 今、おはなし会は自分でも語っている大人ばかりの参加で、肝心な子どもが聞きに来ないのは、やっぱりかつての指導者の指導通り「完訳」を覚えて語るばかりで「翻案」をする人が少ないせいじゃないかと思います。アンデルセンを語れるようにした本もありますが、「完訳」をちょっと優しくした感じですね。

 石井桃子は児童図書館の権威ですし、それを源流とする東京子ども図書館が「散文」とは言わないまでも「甘ったるいのはダメ」とやれば、そのお弟子さんがたくさんいる新潟では、徹底的に指導がされたわけです。また、家庭文庫がネットワークになっていますが、これも家元制であれば石井桃子の教えに逆らえないだろうかと思います。西蒲区の絵本講座でも「子どもに与える本はこれこれ」という指導がされているようで、担当司書の考えがまだ変わっていないことがわかります。それらは歴史の一断面でしかないのにね。

  元に戻るようですが、「子どものために書くのではなく、自分の表現として書く」のは大切だと思います。「子どものため」っていうのは、ある意味「上から目線」なんだよね。子どもを「支配の対象」として見るわけだからね。何度も書くけど、優しい猫撫で声で「皆さんは~~~でしょう?」とやる人の、上から目線に気がついて欲しい。
 そして、当時はまだ「子ども観」がはっきりしていなかったのでしょうが、今はそのことを理解する人は大勢います。「作家が、自分の中の子どもに戻って、自分(子どもとしての自分)の表現として」書くのです。語る時も「語り手が子どもに戻って、その理解のままに語る」のも大事かと思います。また、子どもを自分と同じ高さに見て、今の自分の表現を差し出すのは、まっとうなことかと思います。

 蛇足ですが、若いころ鳥越氏の授業を受けたという私の知り合いは「作家の○○がダメで××がいい、というのはそりゃ今は差別なんだよ」と、苦々しく語っていました。とりあえず、私はそれを信じています。

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