絵本のおはなし会に子ども文化を

紙芝居と絵本を混ぜたプログラムでは、紙芝居ばかり目だって絵本に注目が行かない・・・という気持ちになることがあります。

そそそ、それから「読書推進のためにおはなし会するんだから、本に関係のない紙芝居を入れる必要はない。ストーリーテリングも本を手にとってもらうためにやるんだから、本に書いてある通りに語らなくちゃだめでしょ」という考えもあります。
 で、おはなし会は一体誰のためにやるんでしょうか、偉い先生や良書のためですか?それとも、大人が上手にやるのを子どもに披露するため?

行政の事業というのは、目的とか目標を定めてやっていく場合が多いのでしょうね。おはなし会も本音のところは「読書推進」のためにやってきた事業なんだろうなあ、と思っています。でも、「推進」っていうのが、少し昔のイケイケ主義を匂わせませんか。できたら「持続可能なスタイルに広げていく」っていうのはどうでしょう。読書週間のキャッチコピーで「たくさん読もう、楽しく読もう」だったかな、そういうニュアンスで書かれていると思うのです。

 まず、集団相手のおはなし会は、子どもの地平でやるという立場に立ちます。「絵本は個人のために、紙芝居は集団のために」などといわれますが、どうしても紙芝居が苦手であるならば、子ども文化の絵本を探して紙芝居の代わりにプログラムに入れたらどうでしょう。活字を拾う習慣を、持続可能な状態にしていく、ということです。

 そういうふうに広げていって、違うものを楽しむのはいいことですよね。異文化を受け入れる習慣を養うということです。平和につながる道です。斬新さに目が覚めるようですよ。けれど、図書館にその本が無いと困りますね。絵本専門施設の管理者も子ども学そのものの概念が薄くて、子どもから学ぶ気持ちが少なく、一時代昔の「司書」の感覚(良い本が分かるのが司書ですっ、みたいな)だよね。複本をどっさり置いてなんとか自分好みの本に誘導しようとする。
 今の司書は変わってきていると思いますよ。いかに相手のニーズに合う本を選んでこられるか、現実の(数十年前の子どもでなく)今の子どもが選ぶ力を蓄えていけるか、というのが大切なことだと分かってきている、と思う。

 子ども学の講師から子ども学の最新研究の説明を受けたいものです。子どもの心理や子どもから学ぶということが、すでに学問になっているのに、新潟市の読み聞かせ講習はその感覚がおそろしく少ない。
 今年はどうでしょうか。数年前に図書館に講演の希望を出したのですが、無視されてしまいました。次の冬に期待しています。めいめいが調べて本を読み始めればいいとも思いますが。
 人間科学の講師だからと、この前の冬は内心期待したのですが、研究して論文を発表していない人は、ずーっと昔のまま知識が止まっているのですね。そういう講師を、肩書きを鵜呑みにして使う行政にも、厳しく異を唱えたい。
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