図書館にご恩返しする (?)

 その言葉「図書館にご恩返しする」を最初に聞いたとき、ざわざわと鳥肌が立ったような気がしました。そして、図書館関係者にも感じることがあったとみえて中央図書館のPRチラシにもそのフレーズが紹介されて出てきました。それをピックアップするセンスが図書館の方にもあったのだな、とちょっと安心しました。

 ついにここまで来たかという感じでした。それを口にした人に言いたい。私は見捨てない、と。(ちょっとおおげさかな)。

 内心の自由は尊重します。で、どっかで折り合いをつけなくちゃいけないのですね。新しい人を会に入れましょう。新しい風をみんなで受けて、それをつぶさないように。その会にたくさんの入会者があるよう、大先生のいいなりになって新しい人をつぶさないよう、図書館を「利用する」よう、心から願っています。

 依存をやめるのはとてもつらくて勇気がいることですが、おけいこごとの団体から一歩すすめて、自ら考えていきませんか。私は、自分が上等な人間だと思っていたことが恥ずかしいです。ほれ、新潟駅前にもあるホテルの社長さんが前に言ってたじゃん。「障害のない人(分かる人)だけが来ればいい」と思ってた社長さん。
ええっと、それから、差別のない世の中にしようネッ。

28日・追記
「教えていただいて自分のためになったのだから、その組織に恩返し」という発想なのだと思います。
 ぐるりと発想を変えてみたらどうでしょう。受講生は納税者だから、行政は税金で講師を選んで知識を伝える。講師は税金を受けてその責任で情報を届ける。偏ったり公正でない情報を届ける講師はだめな講師です。つまり、受講生の方が偉いのです。図書館員や講師を崇拝するのは、ここで間違いであるとわかりますね。

 基本的な知識を受けて、それを利用して自分なりにすすめませんか。ストーリーテリングをするときでも、タネ本に書いてあることは基本的なストーリー(知識)です。それを覚えて利用して、自分の体のなかからでてきた物語として、つまり見てきたように、話していければいいのではないでしょうか。
 国際子ども図書館の資料を読むと「語る声」を資料として保存する、みたいなことも検討されはじめている。タネ本そのままであれば声の保存などいらないのではないでしょうか。人が相手を見ながら声の調子を変え思いを乗せた、その語りかけた姿や声が、その資料なのですよね。

 「図書館は特別だから、淡々と、書いてある通りに」「想像を限定しないよう声色を使わないで」という暗黙の伝統があります。
「図書館は特別」とは何でしょうか。特別上等な、洗練された、現実の喧騒とは別の夢の世界を作るのだというイメージがあり、それに賛同してきました。「子どもを傷つけるのは悪であり、辛口の評論をして少しでも悪いことがあれば排除する」みたいな感覚に迷い込んでいなかったか。
自分に尋ねてほしいのは、それにくっついている自分たちは上等な人間であると意識の下で思っていなかったか、ということです。

 図書館員は専門家である、ということにしたって、確かにたくさん本を読んでいるでしょうが、問屋さんがもってきた一部の本を吟味しているだけでしかない。自分たちは特別に教育を受けているのだからという特権意識で、高いところから見下ろすことはなかったのか。
 図書館員の専門性というのは、カウンターにいて市民の様子をいつも見ているという意味での専門性であるという気が、最近、するのです。



 


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