紙芝居はだめ(?)

以前から、あちこちで耳にしていましたが、最近ボランティア交流会に出席して、はっきりとその声を聞きました。
しかも「なぜダメなのか」ということをだれも口にしないか、わからないで口にできないでいる。

それに対して私の意見を言いたい思います。その「ダメ発言」の発信者をXさんとしましょう。
まず、ボランティアは公共に奉仕する人たちで図書館はそれをバックアップする立場であることはまちがいないでしょう。
その状況において、なんの理由もなく「○○はだめ」と発言するのは、差別発言ではないでしょうか。理由も、ほとんどの人は知らないようです。
公共施設で差別があるのに、図書館はなんの手立ても打てないでいる。これは大問題だと思います。
「それは差別ですよ」と周囲がXさんに言ってあげればいいのに、それをしてくれる人は周囲にいない、これはXさんが絶対的な権力を持っているかかつて持っていたか、ということでもあります。逆に見れば大変淋しい権力者であることでしょう。ならば私が言います。それは差別です。差別はいじめにつながり、いじめは撲滅されなくてはなりません。

さて、なぜ「ダメか」という理由を私なりに推測してみます。交流会の分散会でも説明しました。
それは戦争責任に関係があるのではないでしょうか。かつての戦争の時に、あらゆるメディアは戦意を鼓舞するような表現で国民を煽りました。敗戦後、大勢の人たちはそれを反省しました。ただ、その責任を「自分たちが間違っていた」とはっきりと認めなかったのです。あわてて証拠資料を捨てたメディアもあります
 けれど紙芝居はそれをきちんと認めて反省しました。そしてそのために、紙芝居だけに戦争責任があるかのようなイメージを持たれてしまい、それが原因かどうかわかりませんが、一時期学校備品からも外されていたこともあります。それから長い時間が過ぎ、戦意を鼓舞する紙芝居は「国策紙芝居」として、今、「過去を反省し、戦争回避のため今後の参考にする」資料として研究が進んでいます。紙芝居が自分たちの失敗から目をそらさなかったから、今、役に立っているのです。
 戦争責任があるというのなら、他のメディアもみんなそうです。落ち着いてよく考えれば、きちんと認めた紙芝居は、潔いのです。私はそのことを大切にしていますので、必要な場所に必要な道具があるのはあたりまえと考え、他の道具とともに活用するつもりです。

 私は、このことを手紙にして、図書館へのたよりとして、市に問題提起していきたいと思っています。ボランティアの皆様は「紙芝居はダメなんだって」とささやかれたら「それは差別だよ、私は差別やいじめに反対だから、言い始めたその人にそう言ってあげて」と返し、みんなで安心できる地域にしていければいいと思います。

 

 





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